[14日目] 35:薮原~34:奈良井~33:贄川 (2011.10.26)①
前回薮原宿に着いたのは8月23日、まだ夏の真っ盛りであった。9月はボランティアバスで岩手に行ったり、台風が来たりで中山道歩きの日程が取れす2ヶ月振りとなってしまった。あげくに台風で身延線の一部が崩落したため、今回の目的地の下諏訪に到着しても名古屋経由で帰ることになる。
1回分のコース設定は宿場間の距離と掛川から移動のための鉄道の利便性で考えているのだが、中津川から塩尻まで特急が停まる駅以外はいずれも普通列車の本数が少ないため移動に時間がかかる。今回も掛川を朝6:57の新幹線に乗ったにもかかわらず薮派への到着は11:24になってしまった。
薮原到着後少し宮ノ越宿方向に戻り、前回見つけることが出来なかった一里塚跡へ。ガイドブックをいくつか見ていたらD51を展示している脇にあるということだったので、今回はすぐ見つけことが出来た。
1回分のコース設定は宿場間の距離と掛川から移動のための鉄道の利便性で考えているのだが、中津川から塩尻まで特急が停まる駅以外はいずれも普通列車の本数が少ないため移動に時間がかかる。今回も掛川を朝6:57の新幹線に乗ったにもかかわらず薮派への到着は11:24になってしまった。
薮原到着後少し宮ノ越宿方向に戻り、前回見つけることが出来なかった一里塚跡へ。ガイドブックをいくつか見ていたらD51を展示している脇にあるということだったので、今回はすぐ見つけことが出来た。
駅から少し戻った所に展示されているD51の所に一里塚があった
一里塚跡が見つかったので次は昼食。一里塚から薮原駅方向に戻りしばらくすると薮原宿の入口にあたる高札場跡にでる。街道沿いに歩いても飲食店が見つからず、通りかかった人に訊いて路地を少し入った所の食堂を教えてもらった。
薮原宿の京側入口にあたる高札場跡
薮原宿高札場跡の解説
薮原宿の案内板
昼食後、いよいよこの日の最大の難所鳥居峠(標高1197m)に向かう。薮原宿を北に歩いて行き「鳥居峠→」の看板の所で右折。中央線のガードをくぐり線路沿いの道を上がって行くと「尾州御鷹匠役所跡」の手前から坂道がきつくなってきた。ここで鳥居峠から下りて来た人と声をかわした。今回は真夏と違い歩くに良いシーズンなので、この後も多くの人たちとすれ違った。
薮原は源流の里 湧き水を生活水として利用
防火高塀跡
~ つづく ~