[3日目] 66:武佐~65:愛知川~64:高宮~63:鳥居本 (2011.5.20)①
近江八幡から近江鉄道で一駅。武佐駅から3日目のスタートである。駅前の道を左に折れると北東に向かって真っ直ぐな道が延びている。道の両脇に高札場や旅籠、本陣。脇本陣の史跡が続く。案内板は1989年武佐小学校卒業生による手づくりのものであるため、若干古びているがまだ十分読むことができる。
武佐宿の旧街道
松平周防守の陣屋跡
武佐宿の本陣跡
伝馬所跡は郵便局になっていて道路沿いには明治時代の書簡集箱(現在のポスト)が設置されている
中山道を歩くようになって宿場の数の数え方に幾通りかの説があることに気付いた。僕の持っている案内書では中山道69次は東海道と重なる草津宿と大津宿も含んでいるので67番が守山宿で66番が武佐宿となっている。広重の浮世絵などに木曽街道六十九次と書かれているので中山道には69の宿場というのは江戸時代からの公式な宿場数であるのは間違いのないところである。
それでは武佐宿が自身で67番目の宿場としているのはどうしてなりだろうか? 東海道との追分である草津宿から京側を数えないとすれば守山宿が最後の69番目となり、武佐宿との間にもう一つの宿場があったということになる。そうなると間の宿であった鏡の里がそれにあたるのだが???
それでは武佐宿が自身で67番目の宿場としているのはどうしてなりだろうか? 東海道との追分である草津宿から京側を数えないとすれば守山宿が最後の69番目となり、武佐宿との間にもう一つの宿場があったということになる。そうなると間の宿であった鏡の里がそれにあたるのだが???
武佐宿は67番目の宿場となっているが、僕の案内書では66番である
武佐宿から東京(江戸)までは460kmの距離がある
街道に沿って旧家が並ぶ
高札場跡 武佐宿の東の外れ大門跡(8:50)
~ つづく ~