[2日目] 68:草津~67:守山~66:武佐 (2011.5.19)⑤
道の駅で近江牛のハンバーグステーキを食べ、再び強い陽射しの中を歩き始める。国道8号線を歩いて行くのだが、歩道を歩いていても時折通り過ぎる大型車の迫力・威圧感は相当のものがある。
この辺りは鏡の里といって立て看板では本陣跡や旅籠跡などが紹介されているが、中山道のガイドブックでは武佐と守山の間には宿場が無いので、間の宿的な扱いであったとも考えられる。
また中山道は六十九宿とされるが、日本橋すら京までの内で板橋から守山までの67宿と草津・大津を足して69宿とする説が一般的である。しかし次回紹介する武佐宿の案内では67番目の宿と記載していて、これだと武佐に続く鏡・守山で69になってしまう。
この辺りは鏡の里といって立て看板では本陣跡や旅籠跡などが紹介されているが、中山道のガイドブックでは武佐と守山の間には宿場が無いので、間の宿的な扱いであったとも考えられる。
また中山道は六十九宿とされるが、日本橋すら京までの内で板橋から守山までの67宿と草津・大津を足して69宿とする説が一般的である。しかし次回紹介する武佐宿の案内では67番目の宿と記載していて、これだと武佐に続く鏡・守山で69になってしまう。
歩道を歩いていても大型車がやって来るとかなりの威圧感がある
江戸時代には旅籠・富田屋があった跡
旧街道は竜王町西横関の交差点から国道8号線を左に逸れて行く。往時はここに横関の渡しがあり、広重の木曽街道六十九次の中では武佐宿の絵で横関の渡しが描かれている。
今回はできるだけ旧街道を忠実に歩くにしても渡し船のない川を渡るわけにはいかず、国道8号線の橋を通るために土手道を大きく迂回して行った。
橋を渡り、蒲生郡竜王町西横関から近江八幡市東横関町へと入った。
今回はできるだけ旧街道を忠実に歩くにしても渡し船のない川を渡るわけにはいかず、国道8号線の橋を通るために土手道を大きく迂回して行った。
橋を渡り、蒲生郡竜王町西横関から近江八幡市東横関町へと入った。
土手を歩いて国道8号線の橋に出る 橋を渡り再び土手を歩いて渡し場跡に向かう
広重の木曽街道六十九次・武佐の浮世絵には横関の渡しが描かれた
東横関町の旧街道
ちょうど田植えが終わったばかり
陽射しは強いが、時折涼やかな風が麦の穂先を揺らして通り抜ける
再び国道8号線に合流する(14:25)
~ つづく ~