[2日目] 68:草津~67:守山~66:武佐 (2011.5.19)④
野洲小学校脇からあまり大きくない市街地を抜け新幹線のガードを潜ると細い道が小篠原地区を通り抜けるが茅葺屋根の家が2件ほどあったり養専寺という名の寺もあり旧街道を歩いているという気にさせられる。
さらに進んで富波乙地区まで行くと桜生(さくらばさま)史跡公園という、円山古墳と甲山古墳からなる緑地に出る。守山宿から1時間半ほど歩いていたので円山古墳の林の木陰で一休みすることに。。。
さらに進んで富波乙地区まで行くと桜生(さくらばさま)史跡公園という、円山古墳と甲山古墳からなる緑地に出る。守山宿から1時間半ほど歩いていたので円山古墳の林の木陰で一休みすることに。。。
小篠原地区にある茅葺の民家
桜生(さくらばさま)史跡公園は右手 円山古墳の木陰で休憩を取ることに(11:20)
桜生史跡公園の説明板
円山古墳の木陰で10分ほどの休憩を取ってまた歩き始めると道はすぐに国道8号線に合流する。大型トラックがかなりのスピードで過ぎて行くので威圧感がある。
右側の広くなっている路側帯を500mほど歩くと西池の案内板があったので土手を登ってみたら大きな灌漑用水池があった。土手は高いが転落防止柵はなく危険を示す警告板が立っていた。
池から下りて今度は国道8号線から左に逸れて旧道を歩くのだが、また500mほどすると国道に合流する。
右側の広くなっている路側帯を500mほど歩くと西池の案内板があったので土手を登ってみたら大きな灌漑用水池があった。土手は高いが転落防止柵はなく危険を示す警告板が立っていた。
池から下りて今度は国道8号線から左に逸れて旧道を歩くのだが、また500mほどすると国道に合流する。
街道脇の旧家
そして600~700mほど行ったところに平宗盛の首洗い池の案内板が立っていたので林の中の細い道を行くと平家の終焉の地と彫られた碑と二つの塚石があった。平家は壇ノ浦で滅亡したという印象を持っていたので、ここが終焉の地というのは意外であった。
さらに500mほど進むと竜王町に入った左手に今度は源義経元服の地がある。牛若丸が鞍馬から奥州平泉の藤原家を頼って下って行く時この地で元服し義経となった。そして年を経て源氏勝利の立役者義経が元服した地の近くで平家最後の将、宗盛が首をはねられたということに何か因縁が感じられる。
義経元服の地の反対車線に道の駅・竜王かがみの里があり、ここのレストランで昼食。「近江牛」の看板が目に飛び込んで来たのでハンバーグ定食を注文した。
さらに500mほど進むと竜王町に入った左手に今度は源義経元服の地がある。牛若丸が鞍馬から奥州平泉の藤原家を頼って下って行く時この地で元服し義経となった。そして年を経て源氏勝利の立役者義経が元服した地の近くで平家最後の将、宗盛が首をはねられたということに何か因縁が感じられる。
義経元服の地の反対車線に道の駅・竜王かがみの里があり、ここのレストランで昼食。「近江牛」の看板が目に飛び込んで来たのでハンバーグ定食を注文した。
~ つづく ~