ソウル6日目(3月23日)①

ソウル市中心部の略図
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4日目に無料ボランティアガイドによるウォーキングツアー景福宮を案内してもらったリーさんの奨めで、この日は徳寿宮(トクスグン)を、やはりソウル市公認のボランティアガイドであるタンさんに案内していただくことになった。待ち合わせは10時なので9時前に宿を出て待ち合わせ場所の大韓門に向かい、途中で朝食の食べれるところがあったら寄って行こうと思っていたのだが、徳寿宮はソウル市庁舎に近い所にあり宿からそこに至るまではオフィス街になっていて、コーヒーショップはあるのだがお粥などの韓国風の食事をするところが見つからなかった。
仕方が無いのでまだ時間もあることだし15分ほど離れたミョンドンに行ってお粥でも食べて戻ることにした。ソウル市庁舎前の地下街は非常に入り組んでいて出口を間違い本来ならば10分でも行ける距離なのに遠回りとなってしまい、ミョンドンに着いたのが9:20分。
前に目を付けていたお粥の専門店に行き、カキと茸のお粥を注文した。味の方は想像以上であったのだが、時間が無く一気に掻き込んだ

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ミョンドンの多味お粥専門店は地下1階にある  店内には日本語メニュー、もちろん日本語が通じる

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カキと茸のお粥を注文

支払いも慌ただしく済ませ店を出て戻ったのだが、帰り道にまた同じ地下街の中を右往左往して結局5分の遅刻となった。地下街から上に出て教えられていた電話番号に電話したのだがガイドさん本人の携帯ではなくボランティア協会の人が出て事情を話している間に大韓門前で待っていたタンさんを見つけることが出来た。
徳寿宮(トクスグン)の入場券(1000ウォン=約80円)を買い大韓門から中に入った。この宮殿は元々は王族の私邸であったのだが、1592年文禄の役景福宮が焼失した時に仮王宮として使われ、その後王の即位などで使用された。それから間が空き1897年に高宗が朝鮮王から大韓帝国の皇帝に即位させられ、ロシアと日本の間で揺れ動きやがて日韓併合への歴史の舞台となって行く。日本では伊藤博文の時代であり、日本同様西洋の文化が入り込み石造殿のような洋館が建てられた。

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徳寿宮(トクスグン)大韓門10時の待ち合わせに少し遅れて到着

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華麗な衣装で大韓門前で警備に当たる守門将

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中和門

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中和門の奥には中和殿がある               儀式の時には中和殿前に官位の順に並ぶ

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中和殿内の玉座

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昔御堂は執務に使われた

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部屋の仕切りは季節により上に持ち上げることで風通しが良くなる

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静観軒は外国の外交官の接待に使われた                 静観軒の外構のレリーフ

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朝鮮の梵鐘の基準となった興天寺の鐘                  目撃漏と呼ばれた水時計

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高宗が寝室と執務室に使用した洋風の石造殿

徳寿宮を一回りして大韓門をくぐって次のポイントに移動しようとした時に、大韓門の前に人が集まっているので何事かと思っていたら守門将の交代式が始まった。ゆっくり見ていても良かったのだが、ボランティアガイドには時間の都合もあるらしく交代式に立ち止まらず、重明殿へと向かってしまった。その後旧ロシア公使館跡などを案内し昼少し前で予定のコースを歩き終わった。

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11時から守門将の交代式が始まった

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徳寿宮の裏手にある重明殿は大韓帝国設立から日韓併合にかけての資料館になっている

~ つづく ~