ソウル5日目(3月22日)②

昼食の後、午前中のDMZツアーだけで終わりの人は午前中使っていたバスで帰り、午後の共同警備区域(Joint Security Area…JSA)・板門店(パンムンジョム)ツアーに参加の人たちが乗って来たバスの方に乗り移って臨津閣(イムジンカク)に向かった。ここはこの日一番最初に立ち寄った場所だがその時はトイレ休憩だけであった。
臨津閣での見どころは何と言っても自由の橋。1953年7月27日朝鮮戦争の休戦協定締結後12773名の捕虜がこの橋を渡って自由の身となったとされる。

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臨津閣(イムジンカク)にある平和の鐘

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望郷という詩を刻んだ石碑

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1953年北朝鮮側に抑留されていた捕虜がこの橋を渡り自由の身になった

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展望台から自由の橋を見る

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統一大橋から向こうは民間人統制区域、さらに進むと非武装地域そして板門店がある

再びバスに乗り込み非武装地域へと向かう。統一大橋を渡り検問所で国連側の警備兵(=韓国兵)が一人バスに乗り込んできてパスポートのチェックと服装チェック。服装チェックは北朝鮮側からの監視に対して無用のトラブルを避けるため過度の刺激のある服装(ミリタリー服、露出過多など)はNG。そしてその警備兵はずっとバスで行動を共にする。
そこから自由の家という国連軍側の施設に行くまでの間、途中民間人統制区域内ではこの日韓国軍は訓練中で砲撃の音が数回聞こえた。自由の家に到着してバスを降りる時に携帯を許されるのはコンパクトカメラ(携帯電話も可)1個のみ。まずプレゼンテーションルームで朝鮮戦争勃発から休戦に至る過程や板門店にまつわるビデオ上映の後、「敵の行動によって死に至ることもあるツアーである」といった訪問者宣言書に署名させられた。その上で国連のゲストであることを証明する赤パッジを胸に付け、今度は国連側が用意したバスに乗り換えた。この時はバスの席順も今までのツアーバスと同じと決められている。
そしてバスは非武装地帯に通って板門店に入り、国連側の建物に到着。2列に並んで建物の中を通り抜けて、国境線上に並んでいる国連軍側が管理する停戦会議場の中に入る。建物中央のテーブルの中心が国境線に渡り、見学者はこの建物の中に限ってのみ北朝鮮側に入ることを許される。ほんの1~2mであるが北朝鮮領に足を踏み入れたことになる。そして会議場から出て国連側の建物の前に立ち、北朝鮮側の方の撮影を許可される。この時に少しでも不審な行動をすると北側から射撃される可能性もあるということで、わずか5分足らずとはいえ極めて緊張しながらの記念撮影となった。
記念撮影が終わったら再び軍のバスに乗り共同警備区域内の国連側の道を回り、ポプラの木事件の跡地と帰らざる橋の2か所にバスが停まって車窓からの撮影が許可される。そして自由の家に戻って建物内部の土産コーナーを覗いたりトイレ休憩の後、ツアーバスに乗り込み自由の家をを離れ、統一大橋を渡るまでは来た時と同じく撮影禁止となる。統一大橋を渡ったらソウルを目指し、ロッテホテル前について解散したのは定刻の17時少し前であった。

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テーブル中央が国境、警備兵に向かって右が北朝鮮 振り返って外を見る、仕切ブロック左側が北朝鮮

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警備兵の後ろの扉の向こうは北朝鮮が警備する区域

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JSAでの異常な行動は射撃の標的となる 緊張しながら北朝鮮側の建物を背景に記念撮影

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バスの中から撮影が許可されたポプラの木事件の跡地

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もう1か所は帰らざる橋

ソウルは東経127度にありながら、現在では東経135度の明石天文台を子午線とする日本の標準時間と時差を付けないで使っている関係で東京あたりと比べると45分くらい日が沈むのが遅い。春分の今は18:30頃の日没となる。
ソウル市内に戻ったのが17時だったのでソウルタワーのある南山に行けば日没もきれいだろうとロープウェイで登ってみることに。しかし僕の持っているガイドブックは結構荒くて、ロープウェイの駅の位置やタワーまでの登り坂の位置があまりよくわからない。ロープウェイの真下まで行ってみたが駅はかなり下方の街に近い所にありそうだし、上を見ればタワーはすぐそこにありそうに見えたので日没までには登れるだろうと考え、行き当たりばったりでスタートした。道行く人に聞いても言葉が通じないものだから左方向を指さしてタワーと言ったらうなずき返して来たのでそちらに歩き始めた。これが間違いの始まり、後で確認したら右方向に進んでロープウェイの真下を過ぎた辺りにロープウェイ沿いの登り階段があったのだ。
左に行ったらいったんはタワーに近付いたと思えたのだが、そこから高度は下がって行くし距離も離れている。間違えたかなと思い引き返し始めたらウォーキングしている女性が英語を若干使えてこのまま1.5km進めばタワーに出れるようなことを言っていたので、ウォーキングのハイペースに合わせ一緒に歩いて行った。しかし道路の右側にはどこまで行っても上へ昇る道が見えてこない。でも女性は間違ったことを言っていた訳ではなく1.5kmでようやくタワーへの登り口が見えて来た。ただしそこからタワーまではさらに1.5kmの登り坂と階段が待ち構えていた。
へとへとになりながらソウルタワーの足元に到着した時、ちょうど夕焼けの時間となり、タワーの2階展望台までエレベーターで昇ったらちょうど日没の時間であった。
帰りはもちろんロープウェイで降りた。

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ソウル市の南山にソウルタワーが建つ

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ソウルタワーの足元にある八角堂の夕焼け

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ソウルタワーの展望台までは8000ウォン           ソウルタワー展望台から見た落日

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宿近くの鐘路タワーは目立つ    ロープウェイ駅に向かう時ライトアップされたタワーを振り返る

2日目の夕食に鐘閣(チョンガク)駅近くの路地にある店で焼き肉を食べ終えて店を出てその周りの店がどんなメニューをやっているかを確認していたら、日本語を使う女性に声をかけられた。
なんでもご主人がアシアナ航空の元仙台支店長で「マグロ(韓国名でチァムチ)」というレストランをやっていて、自身も仙台に5年ほど住んでいたことがあるけど今回の地震でその頃のお友達と連絡がつかなくて心配なの、などと話しかけて来た。その時は食事が終わった後だったので、今回の滞在中に一度お店の方に伺いますと言ってその場は湧かれた。
なので多いに疲れた日の夕食には日本語に不自由しないのが良いと考え、そのレストランに行ってみた。残念ながら奥さんの方は不在であったが元支店長のご主人はおいでになり、まず店の名前を付けた「チャムチ定食」15000ウォン(1200円くらい)を注文した。冷凍で日本から輸入しているらしいマグロの刺身3種とマグロのにぎり2貫、手巻き寿司などが出てきて、時間をおいてみそ汁、さらに後で海鮮釜飯が出て来た。
ご主人の方も今回の地震の後、知人との連絡が一人しかつかないと案じていられた。その時は電気や電話などの状況が良くないのでしょうと答えるしかなかった。、

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アシアナ航空仙台支店長の経営する、マグロを意味するチァムチという店

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マグロの刺身がメインのチァムチ定食                 海鮮釜飯が後から出て来た

~ つづく ~