ソウル4日目(3月21日)③

景福宮キョンボックン)は朝鮮王朝で最初に造られた王宮であり、もっとも長い期間使用されていた。1950年からの朝鮮戦争での破壊もあってその後の復元において建物の数が減らされたり面積が小さくなったりしてきているが、早足で回っても2時間はかかる。主だった建物を気割ったところで敷地の北東角にある国立民族博物館の前で小休止。ガイドのリーさんが館内からコーヒーを調達して来てくれた。ここは市公認ガイドの強みか?
休憩が済んだところで「地球の歩き方」には載っていないが5年前に復元されたばかりという乾清宮という挑戦王朝末期の王宮へ。日韓併合前に大韓帝国設立へのきっかけとなった高宗の妻。明成王妃王妃が日本軍人に暗殺された場所でもある。日本軍は当初ロシア軍の仕業に企てようとしたが、その前に逃げ帰ったロシア人に日本軍人がやったことを公表されてしまった。高宗はすぐにロシアに避難し、日本軍はその皇太子を祀り上げ大韓帝国という傀儡政権を立ち上げ。やがて日韓併合へと流れ日本の植民地となっていく。そのきっかけの地であるということを教えられた。
僕の中学・高校時代の日本史では弥生・縄文時代から始まり江戸時代までは事細かに教えてくれるが、明治以降の近代史については学年末や単元時間のせいにして簡単に流していた。世界史におけるアジア史の立場も似ている。最近アンコール・ワットやアユタヤなどの遺跡を見てきてそういったことを痛切に感じたが、今回もまたしかりである。

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池の中心の島に建つ香遠亭        韓国での電気発祥の碑、日本よりも1年早かった

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王朝末期に使用された乾清宮 ここで高宗の妻、明成王妃が日本軍人に暗殺されたという

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景福宮の北門である神武門 道を渡ると青瓦台(大統領府)がある

神武門を出ると目の前に韓国の大統領府・青瓦台の文字通り青い瓦が目に飛び込んでくる。警備も厳重で木の背丈なども短く刈り込んである。

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青瓦台前で記念撮影

ここでボランティアガイドの説明コースは終わり。ソウルにいつまで滞在するか聞かれ、まだ日数があるならば徳寿宮(トッスグン)も見ることを薦められ、翌々日ならば僕も特に予定がないと答えたら、リーさんは市のボランティアガイド協会に電話してくれ、別のガイドが10時に徳寿宮の大韓門の前で待っていることを告げられた。
ここから鐘路まで歩くのは大変だし、17時から市庁舎で会議の予定だからバスで一緒に戻りましょうと、リーさんにバス代まで持っていただき、光化門から鐘閣経由ロッテタウンの角でバスを降りて市庁舎前まで行き大韓門の位置を確認し、そこでリーさんと別れた。
途中、鐘閣の手前で儒教キリスト教が根強い韓国でもっとも大きな仏教寺であることも教わり、ホテルの近くなので覗いてみた。境内に入るとハングルが読めないので確実ではないが日本での地震の募金活動や祈祷が行われているようであった。

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宿の近く堅志洞(キョンジドン)にある曹渓寺の山門

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曹渓寺の本堂                                 多重塔

この日の夕食は鐘閣の近くにある、サムギョブサルという豚焼肉のトッサムシデ支店へへ行った。入口に日本語がある程度できる店員がいて、焼肉は2人前からなんですけどという。困った顔をしてガイド本でおいしそうな写真が載っているというと2人前を注文して食べればいいというので席を用意してもらった。
肉が焼き付きそうなので自分でハサミで切り分けたりしていたら、僕たちが焼け具合を見ながらやるのでいじらないでとやんわりと怒られてしまった。でも隣のカップルは自分たちで(というよりも彼のほうが)ひっくり返したり、ハサミで切ったりしていたのにな。
豚肉のほうはじっくりと油をすべて流しだすくらいまで焼き、4種類の薬草の入った餅で野菜やジャンと一緒に巻いて食べるのだが、極めておいしかった。それでもって2人前を完食。隣のカップルはプラスご飯を頼みキムチチャーハンにしていたけど、さすがにそれはやめた。

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トッサムシデ支店は2階にある                   サムギョブサル2人前

~ つづく ~