[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)⑯

小田原宿の東側の入口である江戸方見附は山王神社のそばにあったことから山王口と呼ばれていて、江戸から20番目の一里塚があった。
今では片側二車線の国道一号線が走っているため、道の両側に燈籠を立て山王口と書かれた碑を置いている。一里塚跡は日本橋から歩いてきて左側にある。浜町4丁目の横断歩道橋の付け根にあるので気が付かずに通り過ぎてしまうところであった。

イメージ 1
小田原城址江戸口見付の碑と周辺案内図

イメージ 2
江戸口見附跡の説明板

イメージ 3
片側二車線の国道一号線を渡る…西日なので箱根方向は逆光になる

イメージ 4
横断歩道橋の階段の脇にある、日本橋から20番目の一里塚跡(15:30)

イメージ 5イメージ 6
古くて立派な蔵が残る                              新宿町の道標

旧東海道は、新宿交差点からは国道一号線を真っ直ぐ行かずに、左に曲がり一本裏通りを歩く。国道一号線は市庁舎前で左に曲がり、なりわい交流館の前でまた旧東海道にぶつかる。裏通りには蒲鉾屋が多く並んでいる。また所々に旧地名の道標が立ち、鋳物師がいたから鍋屋町だとか、万町には小田原提灯つくりの職人が住んでいたとか説明が彫られている。

イメージ 7イメージ 8
鍋町の道標…鍋などを作る鋳物師(いもじ)が多く住んでいたとある 浜町通りには蒲鉾屋が多く並ぶ

イメージ 9イメージ 10
万町(よろずちょう)には紀州藩の飛脚継立所があったとともに、小田原提灯作りの職人が住んでいた

イメージ 11
小田原提灯のかかる、おでん屋の門構え

イメージ 12イメージ 13
高梨町の道標       宮前町の道標…城主専用の入口である浜手門、本陣、脇本陣などがあった

小田原の中心はなんといっても小田原城ではあるが、宿場の中心は宮前町で、城主がお城に上がる浜手門や本陣、脇本陣、高札場などがあったと、宮前町の道標に掘られていた。
ちょうど国道一号線が旧東海道にぶつかり右に曲がる本町交差点には、小田原宿・なりわい交流館があり、無料休憩所兼観光案内所になっている。

イメージ 14
小田原宿・なりわい交流館が今日の目的地(15:50)

イメージ 15
なりわい交流館前の小田原宿の説明板と周辺案内図…地図中央の青いお堀の部分が小田原城

イメージ 16イメージ 17
なりわい交流館の説明板、下に昔懐かしい丸く赤いポスト       交流館内の大きな小田原提灯

イメージ 18
交流館の内部…お茶を一杯いただいた

今回の目的地はこのなりわい交流館であり、次回の箱根越えはここが基点となる。


注…今回の旅は、この後小田原城を巡って駅で行き新幹線に乗るまでもう一回あります。

~つづく~