[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)⑭
小田原市に入ったとはいっても、酒匂川を渡るまでは現代になってから小田原市に組み込まれた部分であって、江戸時代は二宮の国府の海岸にあった湊というのが国府津の地名の由来である。
この辺りは海岸が近く、ことに車坂と呼ばれる小田原に向かっての下り坂は見晴らしが抜群であり、正面に小田原の城下が見え、左手に相模湾が広がる。さらにその前方には箱根から伊豆の山並みが一望できる。
遠い昔からこの地が名所であったようで、「浜辺なる前川瀬を逝く水の早くも今日の暮れにけるかも」という源実朝の歌や「鳴神の声もしきりに車坂とどろかしふるゆふ立の空」という大田道灌の歌が残っている。
この辺りは海岸が近く、ことに車坂と呼ばれる小田原に向かっての下り坂は見晴らしが抜群であり、正面に小田原の城下が見え、左手に相模湾が広がる。さらにその前方には箱根から伊豆の山並みが一望できる。
遠い昔からこの地が名所であったようで、「浜辺なる前川瀬を逝く水の早くも今日の暮れにけるかも」という源実朝の歌や「鳴神の声もしきりに車坂とどろかしふるゆふ立の空」という大田道灌の歌が残っている。
東前川交差点手前で道がカーブし、下り坂になって海が見えてくる
従是大山道 外見から古さを感じる蔵
~つづく~