[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)⑬

神奈川県二宮町は宿場町ではなかったので、東海道に関する史跡はほとんど残っていない。二宮町に入って20分以上の間ただひたすら歩いているだけで、写真の方も何ヶ所かの交差点と別のカテゴリーで紹介する二宮町のマンホールの蓋しか残っていない。

イメージ 1
日本橋から73km地点、二宮の交差点(11:35)

イメージ 2
箱根の山がだいぶ迫ってきた

前日の昼食のようにタイミングを逃すと、なかなかその時に欲しているものを食させてくれるレストランが見つからず、ズルズルと時間が過ぎてしまう。この日はその反省から、海が近いということもあって地魚を食べさせてくれる店があったらすぐに入ろうと決めていて、昼少し前に二宮町山西の梅沢交差点近くの魚光という店に入った。アジフライや煮魚定食などもあったが、やはり新鮮な刺身定食を頼むことにした。刺身定食とはいえシシャモのフライや鯖の塩焼きなんかも付いていて盛りだくさんであった。

イメージ 3イメージ 4
地魚・家庭料理「味さい」魚光で昼食休憩         刺身定食(¥1050)を注文(12:05)

昼食休憩を終え再び歩き出す。この日は非常に穏やかな日和でツーリングの自転車が何組も追い越して行った。またウォーキングのグループも多かった。
歩き始めてすぐ吾妻神社入口交差点から脇道にそれ、3~400mほどで山西交差点に出てくる。この交差点脇には道祖神が幾つか並んでいるが、そこに「金目の煮付」と書かれた赤い幟が立っていて、今日の昼はもう少し悩めばよかったと後悔していている自分がいた。

イメージ 5
74km地点、天候に恵まれツーリングの自転車も多い

イメージ 6
吾妻神社

イメージ 7
道祖神や天社神などの脇で「金目の煮付」の赤い幟がはためく…山西交差点(12:35)

川匂神社交差点の手前の左手に「旧東海道の名残り」と書かれた脇道がある。そこを入っていくと二宮の一里塚跡がある。一里塚跡を過ぎるとやや急な下り坂があって国道一号線に戻る。
国一と合流してすぐに押切川という小さなにかかる押切橋を渡る。橋を渡るとすぐに小田原市に入るのだが、またすぐに二宮町の看板が出てくる。このあたりは二宮町山西が国一の海側に、小田原市羽根尾が国一の右側に入り組んでいるところである。西湘バイパスの橘インター入口交差点の手前から完全に小田原市に入る。

イメージ 8イメージ 9
国道一号線をそれ「旧東海道の名残り」の脇道に入る               二宮の一里塚跡

イメージ 10イメージ 11
日本橋から18番目の一里塚、近くに「梅沢の立場」があった            一里塚跡の碑

イメージ 12イメージ 13
道端の道祖神                    二宮町山西の押切橋手前で国道一号線に合流

イメージ 14
国道一号線は小田原市に入る(12:48)

イメージ 15
と思いきや、また二宮町に入る(12:50)

イメージ 16
ここからは再度小田原市です(12:53)

~つづく~