[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)④
遊行寺を出て境川を渡り右に曲がると藤澤宿の中心地に入って行く。この道は元々は国道一号線だったが、藤沢バイパスが出来たことで県道43号線に格下げになっている。
道の両側にはところどころに古い民家が残っている。蒔田本陣跡を過ぎ、本町交番の手前を右に入った所に源義経の首を洗ったと伝えられている井戸がある。源義経は奥州平泉の衣川の合戦で討ち死にした後、首実検のために鎌倉に首が届けられ、その後腰越の浜に棄てられたが、潮に乗って川を遡りこの辺に漂着したと、説明に書いてある。
道の両側にはところどころに古い民家が残っている。蒔田本陣跡を過ぎ、本町交番の手前を右に入った所に源義経の首を洗ったと伝えられている井戸がある。源義経は奥州平泉の衣川の合戦で討ち死にした後、首実検のために鎌倉に首が届けられ、その後腰越の浜に棄てられたが、潮に乗って川を遡りこの辺に漂着したと、説明に書いてある。
藤沢本町 市民病院交差点付近の古い蔵
義経の首洗い井戸から一旦旧街道に戻り、白幡の交差点から右手に250mほど北に行くと白幡神社に出る。20年ほど前までの10数年間神奈川県綾瀬市に住んでいた頃にやはり通勤時や買物時にこの道もよく通っていた。しかし車を降りてまで白幡神社に立ち寄りはしなかったので、ここが現時ゆかりの神社であることを知らなかった。「赤い平家に白の源氏」というように白旗は源氏の象徴なのだから、考えてみれば極簡単なことなのだけれども。。。
白幡神社で少し休息した後白幡の交差点まで戻り、旧街道を西に向かって再び歩き始める。後で資料を調べると、白幡の交差点を出てすぐに上方見附跡という藤澤宿の出口の史跡があったのだが見落としていたことに気付いた。
歩き始めてすぐ小田急線に架かる伊勢山橋を渡る。右手には小田急・藤沢本町駅がある。さらに進むと江ノ島近くの鵠沼海岸に流れ込んでいる引地川を渡り、道がS字に曲がる所にメルシャンワイン醸造所の大きなタンクが見えてくる。
この場所は僕の母が二十歳前後の終戦直前頃に暮らしていた所で、僕が新潟から鎌倉市大船に就職した直後に母が田舎から出てきた時に僕をこの裏手の知り合いの農家に連れて行ってくれたことがあった。その時まで母にも青春時代があったことなんか考えもしなかった。たまにここを通るとそんなことを突然のように思い出す。
そういえば最初にここに来た時には、ここは三楽オーシャンウィスキーという名前だった。
歩き始めてすぐ小田急線に架かる伊勢山橋を渡る。右手には小田急・藤沢本町駅がある。さらに進むと江ノ島近くの鵠沼海岸に流れ込んでいる引地川を渡り、道がS字に曲がる所にメルシャンワイン醸造所の大きなタンクが見えてくる。
この場所は僕の母が二十歳前後の終戦直前頃に暮らしていた所で、僕が新潟から鎌倉市大船に就職した直後に母が田舎から出てきた時に僕をこの裏手の知り合いの農家に連れて行ってくれたことがあった。その時まで母にも青春時代があったことなんか考えもしなかった。たまにここを通るとそんなことを突然のように思い出す。
そういえば最初にここに来た時には、ここは三楽オーシャンウィスキーという名前だった。
~つづく~