[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)③
遊行寺の坂は、箱根駅伝の復路8区の終盤戸塚中継所に向かっての勝負どころとして有名である。ここまでに力を使い果たしたランナーは急な上り坂でペースが極端に落ちて負けに繋がる。東海道を日本橋から京に上る場合は下り坂になっているため全く苦にならない。
坂の途中にある一里塚を過ぎ、藤澤宿の入口を示す見附跡がある。本来は坂を下りきると右に曲がって遊行寺の正面に出るのだが、ここは見附跡の標識直後に脇から遊行寺の境内に入った。
坂の途中にある一里塚を過ぎ、藤澤宿の入口を示す見附跡がある。本来は坂を下りきると右に曲がって遊行寺の正面に出るのだが、ここは見附跡の標識直後に脇から遊行寺の境内に入った。
下り坂の途中から藤沢の高層ビル群が見えてくる
中雀門とその由来
遊行寺の境内では骨董市が開かれていたが、お客さんの数は多くはなかった。
境内を出て門前の広小路と呼ばれる三曲りに出ると、藤澤宿の古地図を描いた案内板があり、その隅にコピーを30円でお分けしますとあったので、看板・塗装の金子工藝に立ち寄った。
遊行寺坂から真っ直ぐ架かっている藤沢橋は昭和になって自動車が走るようになってからかけられたもので、本来の東海道は遊行寺坂から右に曲がりこの店の前を通って遊行寺で左に曲り、そこで橋を渡ってさらに右に曲がって宿場に入っていくとか。これは僕も知っている話だが、昭和50年頃に藤沢橋が老朽化のために落ちたこととかなど、貴重な話が聞けた。
境内を出て門前の広小路と呼ばれる三曲りに出ると、藤澤宿の古地図を描いた案内板があり、その隅にコピーを30円でお分けしますとあったので、看板・塗装の金子工藝に立ち寄った。
遊行寺坂から真っ直ぐ架かっている藤沢橋は昭和になって自動車が走るようになってからかけられたもので、本来の東海道は遊行寺坂から右に曲がりこの店の前を通って遊行寺で左に曲り、そこで橋を渡ってさらに右に曲がって宿場に入っていくとか。これは僕も知っている話だが、昭和50年頃に藤沢橋が老朽化のために落ちたこととかなど、貴重な話が聞けた。
~つづく~