[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)⑤
その手前に「あふり山わけ入る道に○○○」と彫られた古い歌碑があった
茅ヶ崎市に入って4kmほどの間、牡丹餅立場跡の案内板以外には特に目ぼしい史跡も説明看板もなく、松並木の中をただひたすらに歩いた。
もう既に昼を回っていたがウォーカーには暑すぎるくらいの日差しで、ラーメン店や蕎麦屋に入りたいとも思えず、洋食を食べたい一心で手頃な店も見つからないまま茅ヶ崎の中心部まで来てしまった。
もう既に昼を回っていたがウォーカーには暑すぎるくらいの日差しで、ラーメン店や蕎麦屋に入りたいとも思えず、洋食を食べたい一心で手頃な店も見つからないまま茅ヶ崎の中心部まで来てしまった。
56km地点過ぎ、牡丹餅立場跡
サティを過ぎたら右手に3棟の高層マンションが見えてきた。このマンション実は僕の隣机のKさんの自宅があるマンションである。20年前に事業整理で合弁会社に出向となった後17年間もの長きに渡って、家族と150kmも離れた地で単身赴任で頑張っているのである。
そのマンションから一号線に出てきたところの交差点に茅ヶ崎一里塚跡がある。この交差点の名も一里塚交差点という。
そのマンションから一号線に出てきたところの交差点に茅ヶ崎一里塚跡がある。この交差点の名も一里塚交差点という。
僕がまだ大船に勤務していた頃、茅ヶ崎といえばディスカウントショップのダイクマであった。いまではその建物にヤマダ電器が入っていた。
茅ヶ崎駅周辺で洋食屋を探したが、昼を一時間以上過ぎているにもかかわらず混み合っていて、結局一号線に戻りサイゼリアでの昼食となった。
茅ヶ崎駅周辺で洋食屋を探したが、昼を一時間以上過ぎているにもかかわらず混み合っていて、結局一号線に戻りサイゼリアでの昼食となった。
~つづく~