[その13] 51:石部~52:草津~53:大津~京・三条大橋 (2009.12.12,13)⑫
逢坂山関址公園で休憩していたら、京都方面から僕よりも歳がいった男女が数名歩いて来た。「こんにちは」と声を掛けたものの返答がない。愛想のない人達だなと思っていると、さらにぞろぞろと公園の中に入ってきて我先にと公衆トイレに行列を作り出した。少し公園が賑わってきて静けさが失われてきたので、腰を上げ再び歩き始めた。公園を出るとさらに京都方面から老若男女入り乱れてぞろぞろと坂を上がって来た。総勢40名位だろうか、最後の方の人たちは蝉丸神社の前でガイドの話に耳を傾けていた。
公園を出てすぐに和風レストラン「かねよ」という鰻の店があり、その先に蝉丸神社がある。大津側からの上り坂に関蝉丸神社の下社と上社があったが、山科方面の下りの最初にあるのは関が付かない蝉丸神社である。
蝉丸神社と道を隔てた左側に京阪大谷駅があり、そこを過ぎると跨線橋で京阪電車と国道一号線を渡り、国一の左側の歩道を歩くことになる。
公園を出てすぐに和風レストラン「かねよ」という鰻の店があり、その先に蝉丸神社がある。大津側からの上り坂に関蝉丸神社の下社と上社があったが、山科方面の下りの最初にあるのは関が付かない蝉丸神社である。
蝉丸神社と道を隔てた左側に京阪大谷駅があり、そこを過ぎると跨線橋で京阪電車と国道一号線を渡り、国一の左側の歩道を歩くことになる。
和風レストラン「かねよ」日本一のうなぎ の文字がある 関址から山科側の蝉丸神社
国道一号線487km地点 左側の歩道を歩く 大津算盤の始祖・片岡庄兵衛 と書いてある碑
国道一号線を1kmほど歩いて名神高速道路をくぐったら左の小径を入っていく。そうすると京都府に入ったらしいのだが、大津市と京都市の境目が良くわからないまま、いつの間にか後ろを振り返ると滋賀県の道標があった。ここまでに京都府の道標はあったのだろうか? たまらずにたまたま通りに出ていたご婦人に尋ねたら、道を挟んで前が京都市でこちらが大津市だとのことである。別のカテゴリーである「マンホールの蓋」も同じ道なのに京都市のものと大津市のものが入り乱れていた。道路の下がどうなっているのかを見たくなった。
この道の突き当たりに、「ひだりハふしみみち みぎハ京みち」という道標がある。ここを右に行き国一を渡ると山科である。
この道の突き当たりに、「ひだりハふしみみち みぎハ京みち」という道標がある。ここを右に行き国一を渡ると山科である。
佛立寺
宇治と京都の分岐
右方面に行くと山科経由京都である 「ひだりハふしみみち みぎハ京みち」(11:40)
~つづく~