[その13] 51:石部~52:草津~53:大津~京・三条大橋 (2009.12.12,13)①

前回(11月1日)は水口から石部に向かう途中で雨が降り出し、まだ時間的には早かったのだが石部までで終わりとした。
桑名以降は交通費と宿泊費を比べ、土日の2日間で土曜の夜はビジネスホテルに宿泊する日程を組むことにしているのだが、11月後半の京都周辺は紅葉シーズンなのでビジネスホテルでさえいっぱいで予約が取れず、結局1ヵ月半のブランクとなってしまった。
「雨の土山」というが、僕の場合は「雨の石部」となってしまい、この日の天気予報は「曇り時々雨」だったにもかかわらず、新幹線で関が原辺りまで来た頃からポツポツと雨が落ち始め、米原から在来線で草津乗換えでJR石部駅に着いた時には雨はしとしとと降り、傘を差しながらの道中となってしまった。

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JR草津線石部駅(9:40)                      石部駅前ロータリーの時計

石部駅を出て旧街道に出て、石部宿の西はずれ「西縄手」跡の公園がこの日のスタート地点である。

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石部宿「西縄手」跡の公園(9:45)

公園を出て西進するとすぐに草津線沿いの道に合流する。今ではこの道は真っ直ぐに伸びているが、旧街道はここで左手に折れている。往時は野洲川が時々氾濫するために大きく迂回していたようである。雨の中遠回りの道を選んだのだが、途中に資源リサイクルセンターがあるだけであった。
廃棄物を運ぶ大型車が通る、名神高速道路の側道をこわごわ歩いていると正面に近江富士と呼ばれる二上山が見えてきた。

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旧街道は紅葉シーズンも終わり通る人も車も少ない   名神高速道路の側道の正面に見える近江富士

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線路際の道に戻った(10:25)             街道沿いに古い台車を置いてある民家を発見

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従是東照領とかかれた領界碑       薬師如来堂       新善光寺・是より一町半の道標

更に歩を進めると「旧和中散本舗」の大きな建物と大角氏庭園・隠居所などが見えてくる。和中散は江戸時代の薬で、徳川家康の腹痛を治したことで知られ、後にシーボルトも薬を買い求めに来たというほどである。

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史跡・和中散本舗

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道路の反対側にある大角家住宅隠居所(10:50)

~つづく~