[その12] 47:関~48:坂下~49:土山~50:水口~51:石部 (2009.10.31,11.1)②

関の名前の由来は、古来からこの地が交通の要所であったために鈴鹿関が置かれていたからという。歴史上は西暦692年壬申の乱の際に大海人皇子(おおあまのみこ)が関所を設けたのが最初といわれている。ただし江戸時代にはこの地には関所はなく単なる宿場街であったようである。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と関の旅籠の中で一二といわれた玉屋は、現在「関宿旅籠玉屋歴史資料館」となり内部が公開されている。「関まちなみ資料館」との共通入館券は300円である。中に入ると往時の旅籠の様子がかなり細かいところまで忠実に再現されていておもしろい。

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関宿旅籠玉屋歴史資料館       中に入ると足を濯ぐタライがあり帳場に番頭さんが座っている

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お勝手に並べられた食器                             土間のかまど

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部屋                                          中庭

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夕食の膳                             部屋には布団が敷かれている

歴史資料館を出て、次の宿場「坂下」に向かうため西に向かって歩き始める。鈴鹿の山並みが次第に近付いてくる。途中、今は郵便局となっている高札場跡や地蔵院というお寺を過ぎ、街のはずれである「西の追分」に至る。ここから先は徐々に山道となっていく。

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西に向かうと鈴鹿の山が迫ってくる(10:50)

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高札場跡

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地蔵院

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西の追分                     関宿の看板 この先は徐々に山道になっていく

~つづく~