[その11] 41:宮~42:桑名・「七里の渡し」 (2009.10.25)②
七里の渡し跡で、観光案内所の所に臨時で作られた「堀川まちネット」の受付に行き出席名簿でチェックしてもらい「乗船手形」と今日の講義の資料を貰った。このツアーは七里の渡し舟に乗って、名古屋港の歴史と文化・環境について学び特に環境問題に関心を持ってもらうのが主目的である。
講師は前半が「なごや環境大学」の末吉先生。後半が「桑名歴史案内人」の伊藤さんである。
講師は前半が「なごや環境大学」の末吉先生。後半が「桑名歴史案内人」の伊藤さんである。
先ずは受付 乗船手形を貰った(12:35)
この船に乗って桑名宿まで行きます
定刻の13:30よりも早く出席者(34名)が揃ったということで船に乗り込み出発となった。
出発と同時に末吉先生の講義が始まった。先ずは何故この宮~桑名の間が渡しになったかの話に始まり、木曽川・長良川・揖斐川の三川による浸食・運搬・堆積の繰り返しによる伊勢湾と名古屋の歴史。
更にこの辺り一体は藤前干潟という日本最大の干潟で、北から南へ、南から北へと渡る渡り鳥の飛来地であったのが、経済活動の中心地として盛んに埋め立てられたが、市民運動で干潟がなくなる直前でストップがかかり、現在ではラムサール条約により保護されるに至った経緯。
自動車の輸出に始まり、今では日本一の貿易港であり「アジアのハブ港」として発展し続ける姿など、今までに聞いたこともないような話題が次から次へと披露され、また船の両側に広がる実例に見入ってしまった。
出発と同時に末吉先生の講義が始まった。先ずは何故この宮~桑名の間が渡しになったかの話に始まり、木曽川・長良川・揖斐川の三川による浸食・運搬・堆積の繰り返しによる伊勢湾と名古屋の歴史。
更にこの辺り一体は藤前干潟という日本最大の干潟で、北から南へ、南から北へと渡る渡り鳥の飛来地であったのが、経済活動の中心地として盛んに埋め立てられたが、市民運動で干潟がなくなる直前でストップがかかり、現在ではラムサール条約により保護されるに至った経緯。
自動車の輸出に始まり、今では日本一の貿易港であり「アジアのハブ港」として発展し続ける姿など、今までに聞いたこともないような話題が次から次へと披露され、また船の両側に広がる実例に見入ってしまった。
船は「宮の渡し跡」を離れた(13:25) それと同時に「なごや環境大学」の末吉先生の講義が始まった
大型の客船とすれ違う
港にずらりと並ぶ輸出用の自動車
キリンのようなクレーンがずらりと並ぶ
クレーンは自動操縦により次々とコンテナの積み下ろしをする
~つづく~