[その8] 38:岡崎~39:池鯉鮒~有松 (2009.6.7) ⑧

阿野の一里塚を通り過ぎ、炎天下の中をさらに2kmほど旧東海道を歩くと、再び国道一号線と合流する。そして名鉄のガードをくぐると中京競馬場前駅に出る。
ここで観光協会の人と思われる人たちが「桶狭間古戦場祭り」と書かれた幟旗を撤収しているところに出くわした。桶狭間の戦いは永禄3年5月19日(1560年6月12日)、織田信長今川義元を討ち果たした戦いであり、織田信長が天下人に登りつめるきっかけとなった戦いである。ちょうど6月ということでその戦を再現する祭りが古戦場跡で行なわれていたらしい。
で、少し道をはずれ桶狭間古戦場址公園に行ってみた。本来の戦の場はもっと南であったようで、そこにも古戦場址がある。

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古戦場址の石碑                                   案内看板

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桶狭間古戦場案内図

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合戦を再現した演者                           今川義元墓所(15:50)

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桶狭間古戦場址公園の隣にある尾張信用金庫(?)の建物

再び国道一号線に戻り道を横断し、間の宿・有松に入っていく。有松は絞りの町として有名だが、この日はちょうど祭りの最中で道路に赤いカーペットを引き、ゆかた等が売られていた。
有松の街並みは大変趣きがあり、じっくりと眺めて見たいという気にさせてくれる。
この日は非常に熱くなったこともあり、体力的に次の鳴海宿まで行くのはいっぱいいっぱいのため、今回は有松で歩くのを断念した。

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間の宿・有松の入口                       有松でも祭りが開催されていた

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有松の街並み                                   祭りの屋台

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有松絞りの問屋