[その3] 28:見附宿~29:濱松宿 (2008.12.29) ②

若宮八幡宮を出た後は、「池田の渡し」へと進む。
信州諏訪湖に端を発する天竜川は、今でこそ上流に佐久間ダムをはじめとする幾多のダムがあるため洪水の心配は無いが、昔は「暴れ天竜」と呼ばれ東海道中の難所中のひとつであった。天竜川は大井川とは違って渡し舟で川を渡っていた。
広重は東海道五十三次で、見附宿としてこの池田の渡しを描いている。

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広重の五十三次 見附宿の図

若宮八幡宮を出てさらに西へ進むが、このあたりは道しるべが無いため「池田の渡し」に行くのにどこで北の方向に曲がってよいのかがわかりにくい。結論から言えば県道262号線にぶつかったら右折して北上していけば、天竜川を渡る県道261号線と国道1号線を横切り、さらに国一バイパスをくぐることになる。
バイパスをくぐった後県道262号線は右にそれていくが、そのまままっすぐ歩いていくと「池田の渡し歴史風景館」に出る。

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県道262号線と261号線と交差点、先に国一交差点とバイパスのガード(10:35) 262号線は天竜川を渡る

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池田の渡し歴史風景館はこの日は休館だった

この左手が池田の渡船場跡なのだが、ここの右手に行興寺という寺があるので寄り道をした。
この寺は静岡県の天然記念物・熊野(ゆや)の長藤が有名でゴールデンウィークの頃が見ごろである。
能の謡曲・熊野のヒロイン熊野御前が池田の出身なのだそうである。行興寺の裏手には能舞台もある。

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行興寺(10:50)                 静岡県天然記念物・熊野の長藤 樹齢推定300年


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熊野の長藤 (2000年5月撮影)

今度は天竜川の方に出てみる。今では立派な堤防が両側に築かれ河川敷も広々と取られており、ちょっとやそっとでは洪水の心配は無いが、昔は「暴れ天竜」という異名を持つくらいなのであるから、頻繁に洪水があったと思われる。
ここの渡し舟は徳川家康から直々にお墨付きを貰った公認の交通機関であった。ここに橋が架けられたのは明治になってからであった。

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家康直々お墨付きの渡船免状(11:05)              明治になって橋が架けられた跡

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河川敷にある「池田の渡し公園」       対岸に浜松のランドマーク・アクトタワーが見える

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磐田市豊田町地区のマンホールの蓋は藤の花をデザイン                常夜燈

~つづく~