津軽&下北ツアー・2日目の3 (2017.9.17)
横浜町の道の駅・菜の花プラザを出てからは、雨がぱらつき始めた中、この旅の最大の目的地恐山へと向かう。津軽半島では日が照っていたのに、むつ湾をを半時計方向に回って下北半島に来るまでのうちに空は愚図つき始め、向かう恐山の上からは今にもという感じで雲が垂れ込んできていた。
恐山に近づくにつれ空模様が気になる
恐山に入り宇曽利湖の畔に三途の川があり、死者は三途の川の手前で奪衣婆(だつえば)に着ているものを全て剥ぎ取られ、それを懸衣翁(けんえおう)が受け取ってかたわらの柳(衣領樹)の枝に掛けると、その枝の垂れ具合で生前の悪行の軽重を推量する。
その後、閻魔様の前で地獄か極楽か行き先が言い渡されるという。しかし恐山では「人は死ねばお山に行く」との素朴な信仰と祈りを体験するため、ここから太鼓橋を渡って恐山に入山し、お釈迦様以後次の如来が現れるまでの間、肉親の菩提を弔い故人の面影を偲ぶ。
恐山はおよそ千二百年前慈覚大師円仁によって開かれ、極楽と地獄が眼前に広がる霊山にたどり着き「地蔵菩薩一体」を彫刻し本尊とした。
その後、閻魔様の前で地獄か極楽か行き先が言い渡されるという。しかし恐山では「人は死ねばお山に行く」との素朴な信仰と祈りを体験するため、ここから太鼓橋を渡って恐山に入山し、お釈迦様以後次の如来が現れるまでの間、肉親の菩提を弔い故人の面影を偲ぶ。
恐山はおよそ千二百年前慈覚大師円仁によって開かれ、極楽と地獄が眼前に広がる霊山にたどり着き「地蔵菩薩一体」を彫刻し本尊とした。
宇曽利湖を中心に釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰が、あたかも花開く八葉の蓮華に例えられる。火山ガスの噴出する岩肌の一部は地獄に、そして湖を取り巻く白砂の浜は極楽になぞらえる。
宇曽利湖の畔、奪衣婆と懸衣翁の2体の像と三途の川を渡る太鼓橋
懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の像
三途の川に架かる太鼓橋を歩いて渡る…例祭の時以外はバスに乗って脇を通り過ぎる
三途の川を渡ったところでバスを降り総門から中に入る。山門の前で記念撮影の後、山門をくぐると本尊を安置している地蔵殿の前に身を清めるための湯殿が建っている。そして地蔵殿で参拝した後は無間地獄から賽の河原などの地獄巡りの始まりとなる。
恐山見取り図
駐車場を降りた左手に六大地蔵がある
恐山來迎の像
参拝記念に山門前で全体集合写真を撮った
山門を入った正面の地蔵殿
山門から地蔵殿に行く前に温泉に入って身を浄める
地蔵殿の表札
地蔵殿左手の納骨塔から地獄巡りが始まる)
無間地獄のあたりから先は硫黄の匂いが鼻をつく
納骨塔
大師堂
八葉塔、大師説法の地
供養のための風車が何本も回っている
賽の河原では親より先に逝くという親不孝な死に方をした子が、親への供養のために苦労して小石を積み上げても、夜の内に完成する前に鬼が来て崩してしまうという言い伝えがあるが、最終的には菩薩地蔵によって救済されるという。
賽の河原を流れるのは熱湯である
人はそれぞれ悲しき過去持ちて賽の河原に小石積みたる
高く積み上げられた小石も鬼が来て崩してしまう
賽の河原のあちらこちらに完成前に崩された小石の山が転がっている
恐山にやってきた観光客が崩れかけた小石をまた積み上げて去っていく
東北大震災後に建てられた希望の鐘
多くの地獄を回って極楽浜にたどり着いた
宇曽利湖の極楽浜の景色
恐山を回ってバスに戻るまで本降りにならずに済んだ。
恐山を出てこの日の宿泊先むつグランドホテルに向かう途中、あたりはすっかり暗くなってしまった。僕を含めメンバーのうち7名は夕食の後、むつパークホテルに分宿となった。
恐山を出てこの日の宿泊先むつグランドホテルに向かう途中、あたりはすっかり暗くなってしまった。僕を含めメンバーのうち7名は夕食の後、むつパークホテルに分宿となった。
むつグランドホテルでの夕食はフランス料理のコースだった
=つづく=