エチオピア旅行記 5日目の2 (2016.1.26)
エチオピアに行ってみたいと思い始めたのは2014年頃、旅行会社から毎月のように送られてくるパンフレットの中でエチオピア・ラリベラの世界遺産・岩窟教会群の聖ギオルギス教会の写真を見た時。この年モロッコや南アフリカに行ったのだが、次に行きたいアフリカのNo.1候補にノミネートし、2014年のベスト10を掲載した時にも2015年i行きたい所としてもあげていたのである。
折しも2015年春からエチオピア航空がアジスアベバ-香港線を成田まで延伸して直行便として就航することになった。直行便とはいえ香港に一度立ち寄るので完全な直行便ではなく所要時間が長くなってしまうのであるが、直行便となるとならないでは雲泥の差があり、政情不安な中近東を経由しなくても良い分一気に日本人観光客が増えたのは間違いがない。
旅行会社やパンフレットによって「聖ギオルギス教会」と呼ぶのか「聖ギルギオス教会」と呼ぶのかどちらが正しいのかとなると、この教会の英語名が”St. George Church”であり、これをカタカナにする時にどう書くかの差である。カタカナにすれば聖ジョージア教会でも構わないわけである。
余談ではあるが、一昨年コーカサスのジョージアという国に行ったことがあるが、英語ではGeorgiaとなる。ここも以前は日本ではグルジアと呼ばれていたのだったが昨年の4月からは先方からの要望でジョージアと呼ぶことになっている。
一枚岩の岩盤を彫り下げてくり抜いた教会の写真を見た時に、あっここに行ってみたいと思ったのだった。
折しも2015年春からエチオピア航空がアジスアベバ-香港線を成田まで延伸して直行便として就航することになった。直行便とはいえ香港に一度立ち寄るので完全な直行便ではなく所要時間が長くなってしまうのであるが、直行便となるとならないでは雲泥の差があり、政情不安な中近東を経由しなくても良い分一気に日本人観光客が増えたのは間違いがない。
旅行会社やパンフレットによって「聖ギオルギス教会」と呼ぶのか「聖ギルギオス教会」と呼ぶのかどちらが正しいのかとなると、この教会の英語名が”St. George Church”であり、これをカタカナにする時にどう書くかの差である。カタカナにすれば聖ジョージア教会でも構わないわけである。
余談ではあるが、一昨年コーカサスのジョージアという国に行ったことがあるが、英語ではGeorgiaとなる。ここも以前は日本ではグルジアと呼ばれていたのだったが昨年の4月からは先方からの要望でジョージアと呼ぶことになっている。
一枚岩の岩盤を彫り下げてくり抜いた教会の写真を見た時に、あっここに行ってみたいと思ったのだった。
昼食を食べ終えて、世界遺産の12の教会を第1グループ、第2グループに分けそのどちらにも属さずに最も格式の高い、この「聖ギオルギス教会」へと行った。
パンフレットで見た聖ギオルギス教会は教会の周りを多くの観光客が取り囲んでいるものだったが、この日行った時に教会の周りには数人の地元の人がいるだけだった。何でもこの日はエチオピア正教の縁日で、最も格調高いせいギオルギス教会の聖杖・十字架がラリペア市中の祭壇に移されてご開帳される日で、午後から司祭らが教会の中に入りお祈りをしている最中で教会には近づけないため観光客に公開される時間まではまだ充分時間があるとのことだった。
それによりこの教会を高台や、穴の周辺からじっくりと眺めることが出来たのだった。
なおこの時の聖ギオルギス教会の写真は、既にこの連載の最初のページで紹介している。
パンフレットで見た聖ギオルギス教会は教会の周りを多くの観光客が取り囲んでいるものだったが、この日行った時に教会の周りには数人の地元の人がいるだけだった。何でもこの日はエチオピア正教の縁日で、最も格調高いせいギオルギス教会の聖杖・十字架がラリペア市中の祭壇に移されてご開帳される日で、午後から司祭らが教会の中に入りお祈りをしている最中で教会には近づけないため観光客に公開される時間まではまだ充分時間があるとのことだった。
それによりこの教会を高台や、穴の周辺からじっくりと眺めることが出来たのだった。
なおこの時の聖ギオルギス教会の写真は、既にこの連載の最初のページで紹介している。
聖ギオルギス教会の敷地へは橋を渡って入って行った
橋を渡って右手(北側)の高台から聖ギオルギス教会全体を見渡せる
北面の高台から見た聖ギオルギス教会…再掲
聖ギオルギス教会へは南側に彫られた通路を通って入って行く
僕たちが教会中を見学して出てくると、教会の入口では祭祀が終わったようだった
急いで教会の上までもどの司祭が現れるのを待った
教会の十字架を持った司祭を取り巻く人々が出入口となっている溝から出てきた
聖杖・十字架を捧げた司祭が目の前を通って行った
さらに次々と教会内にいた関係者が通り過ぎていった
教会から出た人々は橋を渡って市街地へと動いて行った
聖杖・十字架を捧げた司祭とその関係者たちが音楽を奏でながら進んで行った
お祭り騒ぎとなり、若者たちのグループも一団となってご開帳となる広場へと向かって行く
市街地近くまで練り歩く信者たちの後をついて行った
1時間半ほど信者たちと共に移動し市街地まで来たところでマイクロバスに乗り込みホテルに戻った
この日の夕食はホテルからは離れたレストランに行き、まずは1時間ほどコーヒーセレモニーを体験した。エチオピアはコーヒーの産地で古い遺跡から焙煎したコーヒー豆が発見された所。
そしてかつては海に面した所のモカ港から輸出されていたことからエチオピアコーヒーをモカと呼んで人気が高い。コーヒー豆はブラジルだとかグアテマラだとかキリマンジェロだとかの産地名で呼ばれることが多いが、モカは貿易港からその名前で呼ばれていた。
そしてかつては海に面した所のモカ港から輸出されていたことからエチオピアコーヒーをモカと呼んで人気が高い。コーヒー豆はブラジルだとかグアテマラだとかキリマンジェロだとかの産地名で呼ばれることが多いが、モカは貿易港からその名前で呼ばれていた。
苦いコーヒーを食べる前に甘いお菓子を食べさせてくれるのは茶道にも似ている
コーヒーセレモニーの後は隣のレストランに席を移し夕食を食べ、その後エチオピア音楽を鑑賞した。
コーヒーセレモニーの場所からレストランへと席を移った
この日食べた夕食 ビールはCastelというビールだった
興が乗って踊りも飛び出した
夕食のあとホテルに戻り眠りに着いたのだが、街中に祈り声が一晩中響き渡っていた
=つづく=