バルト3国+ヘルシンキの旅 4日目の2 (2014.8.23)

僕たちがバルト3国を訪れていた日は、それぞれの国にとって大切な記念日であった。それは月に何回か運行されている旅行日程の中から僕が偶然選んだのだったが。
先ずはリトアニアのヴィリニウスを観光しているこの8月23日。ちょうど25年前の1989年8月23日は、東欧に起こった民主化の流れの中でソビエト連邦でもペレストロイカ政策が始まり、連邦内の各国の間で独立の機運が強まった。バルト3国では民衆が「人間の鎖」を呼び掛け、エストニアのタリンからラトヴィア、リトアニアの国内を通って繋がって来た人達の手と、ソ連の国境付近から繋がって来た人達の手とが、ここヴィリニウスの大聖堂前で「人間の鎖」として完全に繋がった。その地点を示すタイルが大聖堂前に埋め込まれており、その上で願いを込めておいた足を軸足に一回転すると願いがかなうとも言われている。
人間の鎖」を完成させた後、リトアニアは1990年3月11日に独立宣言をしたのだが、その翌年の1月にはソビエト連邦軍と衝突が起き、多くの犠牲者が出た。それでもリトアニアの独立宣言から1年半遅れてエストニアが1991年8月20日に、ラトヴィアはさらにそれから1日遅れて1991年8月21日に独立宣言をしている。これらバルト3国の独立は直ちに西側諸国に組み入れられたが、ソビエト連邦がそれを承認したのは、それからさらに何年か経ってからのことであった。

僕たちがヴィリニウスの大聖堂を観光した8月23日、「人間の鎖」の25周年を祝う式典とコンサートが大聖堂脇の特設ステージで行なわれていた。

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ヴィリニウス大聖堂

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ヴィリニウス大聖堂の鐘楼

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一通り観光し自由行動になった時に大聖堂と鐘楼を一枚の写真に収めてみたがMacの広告が邪魔

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人間の鎖」が繋がった記念のプレート

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このプレートの上に足を置き一回転すると願いがかなう、というので。。。

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大聖堂脇の特設ステージで25周年の記念コンサートが開かれていた

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集まったリトアニア人が「人間の鎖」を再現しようと並び始めた

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鐘楼の脇には当時の写真が展示されていた

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当時こんな感じで「人間の鎖」で200万人の人々が600km繋がったそうである

大聖堂の内部を見てから特設ステージ、大聖堂裏の公園を通り、聖アンナ教会に出て写真タイムを取り、さらにそこから一番の繁華街であるピリエス通りに抜ける路地にある琥珀店に立ち寄った。

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大聖堂の祭壇

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大聖堂の入口上のパイプオルガン

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大聖堂の中に掲げられている、十字架から降ろされ横たわるイエスの絵

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大聖堂を出て横の公園に抜ける

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工事中の宮殿の壁に架かっている日時計、現在は夏時間なのにまだ10時前を指している

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聖アンナ教会 周りに木々が多く全体を俯瞰できるポイントが無い

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聖アンナ教会から路地に入った所の琥珀店 地下が琥珀博物館になっている

琥珀店内の博物館を見た後、45分ほど自由行動となった。僕はピリエス通りに出て先ずは大聖堂方面に戻って写真を撮り直したり、あるいは逆方向に行ってロシア正教の教会まで歩き、さらに本屋を兼ねたコーヒーショップでコーヒーを飲んだりして時間を過ごした。
その後琥珀店前に再集合し、ピリエス通りにあるレストランで昼食になった。

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ピリエス通りはヴィリニウスの旧市街随一の繁華街

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大聖堂方面に行った後、ピリエス通りを逆方向に行きロシア正教の教会前で写真撮影

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本屋とコーヒーショップが入る店に入り、コーヒータイム

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エスプレッソは1杯3.5リタス(約150円)

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琥珀店で再集合した後、ピリエス通りのレストランに入った

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レストランの壁に架かっていた絵

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昼食は水餃子風の食べ物でおいしかった

=つづく=