イタリア旅行の記憶-3

3回目にイタリアを訪れたのは、1999年の夏休みだった。
この年の春にドイツの親会社から5年余りに渡って派遣されて来ていたイタリア人マネージャーは帰国し、さらにそこからチェコと分離したスロバキアに出来た系列会社へと移って行った。
一方僕は合弁会社になってからこの時点まで既にドイツの工場への出張は5回を数えていた。そしてこの年の夏休みにプライベートで妻を伴ってドイツとイタリアに旅行することにした。前半はドイツに4泊し後半はイタリアに3泊することにしたのだが、前述のイタリア人のマネージャーは残念ながら僕らのイタリア滞在中には仕事上の関係でスロバキアを離れることが出来なくて、彼の5年間の滞在中に何回か日本に来ていて僕とも馴染みのあったトレヴィゾにいる部下のMさんに僕のお守り役を命じてくれていた。
イタリアへの初日にkareMさんはヴェネチア空港まで迎えに来てくれ、ヴェネチア本島内に予約しておいてくれたホテルまで送ってくれた。そしてその日と翌日は僕と妻だけで島内の観光をし、ヴェネチアングラスのムラノ島まで渡ってみたりした。



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鐘楼の上から見下ろしたサン・マルコ広場

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鐘楼の上から運河の向かいにあるサン・ジョルジョ島を臨む

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サン・マルコ大聖堂の裏側にある運河に架かるため息の橋

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狭い運河の間を抜けて行くゴンドラ

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島の中央部にあるリアルト橋

翌々日の朝にはMさん夫妻がヴェネチアまで迎えに来て、島の北1時間ほどのトレヴィゾにある自宅まで連れて帰り、彼らの二人の娘さん達と共に昼食を作ってくれた。その後、さらに北にあるバッサノ・デル・グラッパという避暑地の観光へと僕らを連れて行ってくれた。ヴェネチアはとても暑かったのだが、ドロミティ山地に近いバッサノ・デル・グラッパはとても涼しく感じられた。
余談になるがイタリア料理において食中にはワインが出てくるが、締めにお腹や胸やけをすっきりさせるために出てくる強い酒「グラッパ」の産地はこの街である。

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トレヴィゾの街中を流れる川

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バッサノ・デル・グラッパを流れる清流

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バッサノ・デル・グラッパの橋の上で、妻とMさん夫妻

= つづく =