イタリア旅行の記憶-1

トップページにある海外への渡航歴のリンクからも判るように僕はこれまでにイタリアへは4回行ったことがある。一番最初に訪れたのは1986年5月のことで、海外に行き始めて3回目の旅行であった。
僕が現役時代にドイツとの合弁会社に勤めていたことは以前に紹介しているが、その頃にはまだ合弁会社の「ご」の字もない頃ののことで、当時勤めていた某企業の労働組合が企画した全国各事業所から総勢500名規模での海外ツアーに参加したものであった。もちろんその当時は海外旅行などは夢のまた夢という感覚のもので、全国規模で行なうということから1年以上も前に参加者を募り、入念な準備や旅行説明会が繰り返し実施された。28年も前のことなのでちょっと記憶が曖昧になってきているのだが、全部で5つほどのコースがあって、そのいずれのコースも最終的にパリの一つのホテルに集結して記念のパーティを実施するというもので、この中から僕たち夫婦は最もオーソドックスな「ロンドン・ローマ・パリの3都市周遊」というコースに参加した。
その時のツアーには訪れた3都市の市内観光と最終日のパーティはコースに含まれていたが、それ以外はオプションの観光や食事に参加したり、フリーで出歩いたりするものであった。その旅行の4日目にロンドンからローマに飛んで、6日目にパリに移動するまでの2泊の滞在が、僕にとって最初のイタリアであった。

午前中にロンドンからローマに飛んで、まず行ったのは昼食のレストラン。トマト味のスープスパゲッティがとても美味しかったことがいまでも記憶に残っている。午後からは市内観光でコロッセオやトレビの泉、バチカンなどを訪れた。その日の夕食は東京にも支店のなるレストランにオプションで出掛け魚料理がメインだったのだが、大人数の僕たちに対してたった一人の担当ウェイターが魚を取り分けていた時の真剣な表情を誰かが実況中継していたことが今でも思い出せる。

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トレビの泉は観光客が多く集まっていた

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もう一度ローマに来れるようにコインを投げ入れたのだったが。。。

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コロッセオにも行った

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バチカンのサンピエトロ寺院にて

翌日はポンペイナポリのオプショナルツアーに参加した。ポンペイ遺跡では、溶岩に呑まれ重なったまま生き埋めになった男女を、後世になって石膏を流し込んで復元したものがあったような気がする。また男性のナニを誇張して描いた壁画を見て、思わず自分の物と比較してしまったのも。。。 昼食に入ったレストランで「キリストの涙」という白ワインを飲み、その後のナポリを一望できる高台からの眺めが夢うつつだったことに反省。

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ポンペイ遺跡にて

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思わず自分のものと比べようとした壁画

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ナポリの風景 あいにく後ろのヴェスヴィオ火山は霞んで見えなかった

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昼飲んだワインに、時差も加わり夢うつつの状態に

夕方は「終着駅」ノテルミエ駅近くのホテルを出てレストランを探しながら歩き、やや暗くなってきて辿り着いた所で大勢の人が群がっているのに恐れをなして引き返し、駅近くのスタンドでピザを買ってホテルに戻ったのだったが、後々地図を頼りに思い出したらスペイン広場の上まで行っていたのだと今でも悔いが残っている。

= つづく =