バルカン半島の旅

バルカン半島への旅行記を書き始めるにあたって、バルカン半島の歴史について避けて通ることはできない。
この地は古くからローマ帝国オスマントルコ帝国、ブルガリア帝国ベネチアオーストリアハプスブルク家など多くの周囲の国々により侵略と支配が繰り返されてきた。
そんな歴史の中1900年代の前半に、南スラブ人の土地を意味するユーゴスラビア王国が発足し、第2次世界大戦後は社会主義国家としてチトー大統領がユーゴスラビア連邦民共和国を築き上げた。しかしチトー大統領の死後はそれぞれの民族国家が独立を目指し、ユーゴスラビアを守ろうとしたセルビアを中心とした勢力との間で紛争が起き、さらにNATOなどの介入もあって6つの共和国に別れ、最後にはコソヴォが独立を求め紛争となり今の形におさまっている。
チトー大統領がこの地をまとめ上げた時には「7つの国境・6つの共和国・5つの民族・4つの言葉・3つの宗教・2つの文字・1つの国」と称えられていたのだが、結局は宗教の問題や民族の対立などによりバラバラになってしまったのである。
今回の旅行では旧ユーゴスラビアから独立した国々の中でスロベニアを除く、セルビアボスニア・ヘルツゴビナ、クロアチアマケドニアコソヴォの6カ国とユーゴスラビアに入っていなかったが民族的につながりの強いアルバニアの7カ国を回った。その旅行を辿りながら、旧ユーゴスラビアの歴史なども綴っていく。

ユーゴスラビアの歴史に着いてより詳しく知りたい方は、Wikipediaユーゴスラビアのページも参考にしていただくと良い。

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今回訪れた国々とその周りの国々