モロッコ旅行 3日目の2(2014.2.22)
エッサウィラとは「整備された」という意味なのだそうで、フェズを始めあちらこちらのメディナと呼ばれる旧市街が入り組んだ迷路となっているのに対して、ここエッサウィラのメディナは歩きやすい。またエッサウィラはモロッコの人たちが一度は訪れたい所のNo.1なのだとかいう説明がイヤホーンから流れて来ていた。でも先頭はかなり先を歩いているようで、自分の目に写っている景色とは時間差があった。
モロッコは古くはローマ帝国の西端であり、その後アラブ系のイスラム教徒が支配したり、16世紀にはポルトガルに支配されたり、フランスの植民地になったりと変遷は著しい。エッサウィラの海岸線にあるスカラの砲台はポルトガルが支配していた頃の16世紀に築かれたものである。
モロッコは古くはローマ帝国の西端であり、その後アラブ系のイスラム教徒が支配したり、16世紀にはポルトガルに支配されたり、フランスの植民地になったりと変遷は著しい。エッサウィラの海岸線にあるスカラの砲台はポルトガルが支配していた頃の16世紀に築かれたものである。
スカラ(城塞)には大砲がずらりと並んでいる
大砲は海に向かっている
北稜堡の中でおじさんがピーナッツの焼き菓子を売っていた
スカラの砲台を観光した後はメディナの外れの港に向かい、昼食にシーフードリゾットを食べた。
観光客向けのレストランやカフェが並ぶ
港が近付くと多くのカモメが頭上を飛び交う
繋留中の漁船の上で羽根を休めるカモメ
港の外れの城門をくぐる
レストランCHEZ SAMで昼食
レストランの中には洒落たバーもあった
昼食後はマラケシュまで175kmの道を戻ったが、時差の関係もありほとんどの人が眠っていた。マラケシュが近付くと右手に翌日向かうアトラス山脈の雪を抱いた白い峰々が良く綺麗に見通せた。
マラケシュで最初に行ったのは、翌日訪れる予定だったメナラ庭園。ここは遠くアトラスから引いて来た水の貯水池。この日は土曜日だったこともあり、子供を連れた多くの家族たちで賑わっていた。
マラケシュで最初に行ったのは、翌日訪れる予定だったメナラ庭園。ここは遠くアトラスから引いて来た水の貯水池。この日は土曜日だったこともあり、子供を連れた多くの家族たちで賑わっていた。
多くの家族連れなどで賑わうメナラ庭園
遠くアトラスの白い峰々が見えていた
メナラ庭園の奥にある大貯水池
ここで一旦ホテルに戻り、夜のジャマエルフナ広場に出掛けるため一休み。ジャマエルフナ広場へはオプションで馬車に乗って出掛ける人たちと通常にバスで出掛ける人たちに別れた。僕はバスでジャマエルフナ広場に向かい、馬車でやって来た人たちを出迎えた。
ジャマエルフナはマラケシュ最大の広場で、スーク(市場)や屋台とともに大道芸人も多く出て賑わっていた。人ごみの中スリなどには気を付けなければならないし、下手に大道芸人にカメラを向けるとチップを要求されるだの注意しなければならないことも多いが、活気に満ちていた。
ジャマエルフナ広場では30分ほど自由に散策した後、広場の角にあるカフェ前に集合。その後スーク(市場)の中を歩いてレストランまで行き、チキンのタジン鍋を食べホテルに戻った。
ジャマエルフナはマラケシュ最大の広場で、スーク(市場)や屋台とともに大道芸人も多く出て賑わっていた。人ごみの中スリなどには気を付けなければならないし、下手に大道芸人にカメラを向けるとチップを要求されるだの注意しなければならないことも多いが、活気に満ちていた。
ジャマエルフナ広場では30分ほど自由に散策した後、広場の角にあるカフェ前に集合。その後スーク(市場)の中を歩いてレストランまで行き、チキンのタジン鍋を食べホテルに戻った。
ホテルから馬車で市内を回って来た人たちと合流
馬車から下りる人たち
竿の先に着けたゴム輪で瓶釣りを楽しむ子供たち
何か食べ物屋が賑わっていた
待ち合わせのカフェの屋上に出てミントティを注文し、広場の写真を撮った
屋台も賑わっていた
再集合しスークを抜けてレストランへと向かった
夕食のレストランに到着
=つづく=