久々の岩手県でのボランティア活動 (2013.11.15-18)

前回のボランティア活動から半年振りになります。
今回は初めて社会福祉法人掛川市社会福祉協議会社協)との共催。社会福祉法人である社協は、もともと掛川市の人たちの福祉について活動する法人であって通常の活動の他に、万が一掛川市で災害が起きた時に災害ボランティアセンターを立ち上げて災害からの避難生活や復興活動についてボランティアを募って活動するための団体です。従って他所で起きた災害に関してまでの責任は全くありません。せいぜい募金を募ったり、応援職員を派遣したりするくらいでその責は果たせるものです。今回の震災について県や他の市町ではこれまでにボランティアの派遣などを行なっていましたが、掛川市では市民の会の活動を応援しながらもなかなか腰を上げるまでには至りませんでした。
近いうちに起こると言われ続けている東海地震や、各地で頻繁に起こっている大規模な自然災害に見舞われ、実際に災害ボランティアセンターを立ち上げて活動しなければならなくなった時に、それに対しての経験の有り無しが地域の人たちの利便にかかわるということにようやく気付いたようです。
今回は社協が呼びかけただけあって、市民の会単独開催の時とは比べ物にならないくらい多くの人たちの関心を呼び、すぐに定員に達しました。

今回はいつも訪れていた陸前高田市の他に大槌町にも行って活動をしてきました。大槌町に行ったのは2年ぶり。現地で行なってきた活動の詳細は近日中に東日本大震災支援掛川市民の会のHPにて紹介する予定ですので、このブログでは現地の風景の紹介で済ませます。
あの日から2年半が過ぎても、まだまだ復興したとは思えません。しかし歳月は人々を忘却へと運んでしまいます。現地にボランティアに訪れる人の数も徐々に減ってきています。そんな中たいしたことはできないけれども、時々は現地に出掛け現地の人たちと触れ合って少しでも力づけることができればと思い、これからも継続して出掛けて行きたいと思っています。

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旧大槌小学校は大槌町役場へと生まれ変わりました そのための費用に8憶円掛かったそうです

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大槌小学校は今年の3月で閉校になりました 二宮金次郎像はその碑の後ろに隠れてしまいました

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こちらは2011年9月に撮影した、大槌小学校の姿です

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こちらも2011年9月に撮影の、津波に流されず残った二宮金次郎像です

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町役場裏の城山から見る大槌町の中心部 中央やや左に残っているのが旧町役場

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旧町役場はまだ被災時のまま残っています


ここから下の写真は陸前高田市の旧気仙中学校前から千本松原があった方向を写したものです。

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ガレキ処分で築かれた土手が見えます 中央左の一本松の復元には1憶円掛かったそうです

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2012年4月撮影の同じ場所 生き残った一本松が被災時のまま立っていました

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吊り橋のように見えるのは気仙川を挟んでガレキ運搬をするために作られたベルトコンベアー


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今回の最後に陸前高田市観光協会語り部さんと行った、箱根山から見た広田湾方面の夕景