[26日目] 2:蕨~1:板橋~江戸・日本橋 (2012.11.21)⑤
板橋宿は京側から上町宿・中町(仲町とも書く)宿・平尾宿の3つを合わせた区域のことで、全長1.7kmとも2.2kmあったともいわれている。板橋の地名のもととなった石神井川に架かる橋から京側が上町、江戸側が下町と呼ばれていたが、その下町が広がって仲町宿と平尾宿となったらしい。
この板橋が地名の由来になった
板橋の向こう(京)側が上町、橋を渡ったこちら側が中町
板橋の由来について書かれている
中山道のガイドマップに、江戸に向かって左側に本陣跡があるというのでそれを目印に歩いていたのだが遍照寺まで行っても見つからず、何度か行ったり来たりして高野長英の説明板を見つけ、その後でようやく本陣跡の碑を見つけた。本陣跡の碑は結局路上駐車自転車が並んだスーパー脇の壁の陰にあった。江戸方面からは見えるが、京側からはブラインドになって見つけにくい所にあった。
ライフという地元のスーパーの隣の壁に隠れてなかなか見つけられなかった板橋宿本陣の碑
板橋宿本陣飯田新左衛門家の説明板
板橋三丁目縁宿公園
公園の道向かいにある「松の湯」と煙突
板橋宿出口で国道17号線に出る
かつての板橋宿は細長くこの先国道17号線を横切った所まで続いていた(13:45)
国道17号線(頭上の高架は首都高速5号線)に出た所で板橋宿を通り抜けた気になっていたが、道を渡った反対側の延長上も板橋宿の部分だった。
~ つづく ~