[25日目] 6:桶川~5:上尾~4:大宮~3:浦和~2:蕨 (2012.11.20)⑤

氷川神社の三の鳥居を過ぎるとさいたま新都心地区に入って行く。右手に大きなスタジアムが見えて来る。ここを歩いている時に僕は、2002年にサッカーワールドカップで使われた埼玉スタジアム2002だと勘違いしていたのだが、あとで家に戻ってからインターネットなどで見て、ここは埼玉スーパーアリーナという多目的施設であったことが判った。バレーボールの国際マッチやコンサートなどで使われているらしい。新都心というだけあって最近になって開発が進んだようで近代的な街並みの中を通って、けやきの並木道を進んで行く。

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埼玉スーパーアリーナはスポーツやコンサートなどのイベント会場として使われる(14:30)

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スーパーアリーナの通路に上がるエレベーターから旧街道を見下ろす

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京浜東北線さいたま新都心駅への連絡通路の下をくぐる

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新都心にある中山道歴史散歩コース・鴻沼用水と高台橋の案内板

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さいたま新都心駅を過ぎるとけやき通りになっている

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ちょうどけやきが色付いて来たところだった

与野駅東口という交差点に差し掛かった。大宮市と浦和市と合併する以前の与野市であった部分は現在はさいたま市中央区となっていて与野駅の近くでわずかに旧街道と接しているが、旧街道そのものは基本的に大宮区を出ると浦和区となる。その針ヶ谷というところに江戸幕末期に最後の仇討の行なわれた一本杉があったという所を通る。

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京浜東北線与野駅東口の交差点

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一本杉の仇討の場を通る

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水戸藩宮本鹿太郎が丸亀藩浪人河西祐之助を討った、江戸幕末最後の仇討の様子が書かれている

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一本杉の石碑は車道側を向いて立てられている    青面金剛庚申塔・正徳四年(1714年)建立

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浄土宗廓信寺

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廓信寺の脇に、さつま芋の女王・紅赤発祥の地の説明板

京浜東北線与野駅の次は北浦和駅である。北浦和駅近くの歩道にJ1の浦和レッドダイヤモンズのマスコットや往年の名選手の足形プレートがあるのだが、浦和レッズが元々は北浦和駅近くの駒場スタジアムを本拠地にしていた当時のもの。現在は埼玉スタジアム2002を100%使っているため、5kmほど離れた埼玉高速鉄道浦和美園駅が最寄り駅になっているそうだ。

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北浦和駅東口の信号

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北浦和駅近くの歩道には浦和レッドダイヤモンズのマスコットや往年の名選手の足形プレートが!

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1995年の得点王に輝いた福田正博  選手としても監督としても功績のあったギド・ブッフバルト

北浦和の商店街を抜けて行くと、やがてJR東北本線の浦和橋を渡り浦和宿へと入って行く。

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商店街を抜けるとJR東北本線と並行して歩く

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JRに架かる浦和橋を渡る(15:30)

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ちょうど走って来たのはJR宇都宮線の上り電車だった

~ つづく ~