[19日目] 22:岩村田~21:小田井~20:追分~19:沓掛~18:軽井沢 (2012.6.29)③

小休止の後1kmも歩かないうちに国道18号線に出た。こんなことなら追分宿まで一気に歩いてしまえばよかったと思っても後の祭りである。
国道18号線を渡った所に「分去れ」がある。追分宿を出てここを右手に行くと、小諸から上田、長野を経て直江津北陸道にぶつかる。現在の国道18号線の元である。江戸時代は善光寺参りや、佐渡金山で採れた金を江戸へ運ぶ街道として栄えていた、五街道に次ぐ重要な街道であったという。
次の追分宿交差点を左手に行くと追分宿へと入って行く。この日は宿場の中ほどまで道路工事の真っ最中であった。

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国道18号線に出て来た

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国道18号線を東へ向かう             分去れの碑 従是仲仙道の文字が浮かぶ

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分去れ 右手に行くと北国街道 左手が中山道小田井宿へ(11:35)

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追分宿交差点を左手に入って行く

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旧街道を追分宿方向に入って行くと道路工事中だった

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浅間山香華院泉洞禅寺                        泉洞禅寺の由来書き

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追分宿高札場                              高札場の説明板

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堀辰雄文学記念館の入口は本陣門が移設されたもの

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追分宿本陣門(裏門)の説明板


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浅間神社境内にある芭蕉句碑 「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」

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同じく浅間神社境内にある追分節発祥の地碑 裏手に追分郷土館

宿場内の資料館などに一切寄らずに追分宿を通り抜け、再び国道18号線と合流した地点に一里塚があった。国道18号を渡った所にも対になる一里塚跡が残っているとのことであった。また渡った所にはドライブインが2~3軒あって、ちょうど昼食時でもあるので渡ってしまえばよかったのだが、車の通行量が途切れないのでそのまま左側の歩道を進んだ。そして歩道橋がある所に来たが、その先が下り坂になっていて見通しが良く右側の歩道沿いには建物が少なく左側には色々ありそうに見えたのと、脚が重くて歩道橋の階段を避けたいという意思もあって歩道橋を渡らずにさらにそのまま進んだ。しかし左手に色々あるように見えていたのは自動車関係やホームセンターの看板であった。
持っているガイドマップによると旧街道は次の信号で国道渡って、そのまま右手に入って行くようになっていたし、その角には蕎麦屋があるという風になっていた。歩道橋から300mほど行った所の三叉路の信号で国道を渡ったのだが、そこの浅間山の絵が描かれていて遠くからも目立つ蕎麦屋には臨時休業の札が架かっていた。多少荒れた感じがしていたので、もう廃業しているのかも知れない。この先旧街道に入るともう何もないかもしれないので、先ほどのドライブインがあった辺りまでの4~500mを、来た時とは反対側の歩道を戻ることにした。途中歩道橋近くにフランス料理の洒落たレストランがあったのだが、店先のメニューを覗いたらランチとは思えないお値段が付いていたのでびっくり。
結局2~3軒あるドライブインの内一番手前の「おぎのや」さんに入り、横川名物の釜飯を食べた。この釜飯は「おぎのや」さんの本店にある旧信越本線の横川駅で人気のあった駅弁で、昔は長野経由で野沢温泉志賀高原などに行った時に買い求めたこともあって、その素焼きの容器を何個か持っていて小物入れなどにして使っていたこともある。そういえばその素焼きの容器は今はどこに行ってしまっただろうか??? 
長野新幹線が通って、横川から軽井沢の間の鉄道が廃止され、今では全国の駅弁大会でくらいしか顔を見たことのない懐かしい釜飯をこの日の昼食にした。でもさすがに素焼きの容器は重いので、食べ終わった容器はそのまま店に残してきた。

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国道18号線北側の追分一里塚

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江戸へ39里、京へ91里14町の追分一里塚は、国道18号の両側に対で残っている

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国道18号線に沿って歩く、ここは標高1003m

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国道を渡って「おぎのや」まで戻った          昼食に名物・釜飯を食べた(12:20)

~ つづく ~