[9日目] 48:細久手~47:大湫~46:大井 (2011.7.15)③

大湫病院を過ぎるともう大湫宿に入ったようなもの。二つ岩の所に休憩所があり自動車は真っ直ぐ行くが歩行者は休憩所の左側を進む。先ず左手に二つ岩があり次に大洞の馬頭様がある。馬頭塚が多いということはその辺りの街道が険しいということ。人や荷物を運ぶ馬が酷使され頻繁に寿命が尽き、その労をねぎらう意味で塚や観音像を建てたと考えられる。
峠を下って来て平地に出たばかりなので余力があり休憩所は素通りし、小坂の馬頭様から紅葉洞の石橋へと進む。石橋とは言っても水の流れている様子もなくどこが橋なのか分からずじまいであった。

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大湫宿近く二つ岩の休憩所

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左・大湫宿を抜け十三峠 右・琵琶峠を通って細久手宿へ 広重の絵では大久手となっている

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小坂の馬頭様

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大湫の二つ岩から大洞の馬頭様、休憩所、小坂の馬頭様を経て紅葉洞の石橋に出た

高札場跡があるのが大湫宿の西外れ。大湫宿は標高510mと美濃十六宿(落合宿から今須宿まで、馬籠宿は現在岐阜県中津川市にあるが当時は木曽の国であった)の中で最も高い所にある。

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大湫宿の西外れ高札場まであと一歩(10:00)

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大湫宿の高札場

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大湫宿高札場跡の説明書き                    中山道大湫宿の石碑

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大湫宿の説明書き、東の大井宿へ三里半、西の細久手宿へ一里半     大湫宿内の旧街道

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式内 神明神社

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奥に脇本陣があった

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大湫宿脇本陣の説明書き

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大湫宿の中心部

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手づくりの小物を商う、おもだか屋

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大湫宿本陣跡の説明書き(10:05)

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本陣跡の広場の奥にあった三尊    本陣跡と和宮の歌碑は坂を上った小学校の校庭にある

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大湫のコミュニティセンター

~ つづく ~