吉原宿は
津波によって3回も宿場を移転している。当初は現在のJR
吉原駅のあたりに宿場があり現在では(元)吉原の道標が建っている。次の時代ではは(中)吉原という道標が左富士神社の脇にある。最終的には海の影響のない現在の吉原本町に移っていった。
ここらに宿場の中心があったことも 左富士神社
東海道を歩いていると当然旧街道より北側に富士山があるので、京都方面に向かう人の右方向に富士山が見える。左に見えるのは
茅ヶ崎のあたりと吉原宿手前の2か所となる。
名勝・左富士の説明板(12:55)
広重の五十三次・吉原の図は左富士 久々に見かけた東海道四百年に作られた道標
左富士を過ぎて10分ほどすると平家越えという、1180年の源平
富士川の合戦で早朝に飛び立つ鳥の羽音を敵の襲撃と勘違いして、平家が逃げ去った所とされている。
源平富士川の合戦の舞台 平氏軍が水鳥の飛び立つ音を源氏の襲撃と勘違いして逃げ去った所
平家越えの橋
旧街道を歩いていると飲食店やコンビニが数少なく、毎回のように昼食を取ることが遅れてしまう。
天信という蕎麦屋 昼食に桜エビ天ざるを食べた(13:30)
~つづく~