[その15] 5:戸塚~6:藤澤~7:平塚~8:大磯~9:小田原 (2010.1.23,24)⑪

大磯宿には、小島・尾上・石井という3軒の本陣があった。その内、尾上本陣の跡地は明治以降になって大磯小学校に当てられたようである。
その先国道一号は大きく右に折れて西方向に進むことになる。その角の所に南町問屋場跡がある。ここから200mほど所の海岸に日本で最初の海水浴場が明治18年に開設された。

イメージ 1
大磯小学校発祥の地、尾上本陣跡

イメージ 2イメージ 3
大磯照ヶ崎海水浴場・大正4年5月建の碑            海は西湘バイパスの向こうになる

イメージ 4イメージ 5
大磯プール入口交差点                   左・海水浴場発祥の地まで0.2km

イメージ 6
南町問屋場の説明板

高札場を過ぎると、前もってマークさんがインターネットで調べてくれた「鴫立庵」があり、ここが湘南発祥の地ということになる。寛文四年(1664年)頃、西行法師が「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立澤の秋の夕暮」と詠み、「著盡湘南清絶地」と中国湖南省の湘南と似ていると讃えたことが、大磯を中心とした地域を「湘南」というようになったのだという。現在は三浦半島から小田原辺りまでの幅広い地域を湘南と呼び、時々論議の的になっているが、特に江ノ島から茅ヶ崎海岸辺りを湘南と呼んでいることが多い。
鴫立庵に入るには入場料100円が必要である。日本三大俳諧道場の一つだそうで、敷地内には句碑や歌碑が所狭しと並んでいる。立春前にもかかわらず紅梅も満開で、さすがに湘南の地は暖かいと思えた。

イメージ 7イメージ 8
高札場の説明板                        湘南発祥之地・大磯の碑と説明板

イメージ 9
湘南発祥の地大磯 寛文四年(1664年)頃西行法師が中国湖南省湘南と似ていると讃えたのが始め

イメージ 10
鴫立庵…石碑には「旧跡 鴫立澤」と記されている(10:00)

イメージ 11
鴫立庵の由来

イメージ 12イメージ 13
鴫立庵の建物                       佐々木信綱の書による西行上人の歌碑

イメージ 14イメージ 15
1月下旬でも、温暖の地なので紅梅が満開であった     たくさんの歌碑に混じって仏像もあった

鴫立庵を出て旧街道を歩くとすぐに上方見附跡の説明板があり、大磯宿の出口ということになる。ここから立派な松並木が西に向かって続いている。

イメージ 16
大磯宿西側の出口「上方見附跡」

イメージ 17
ここからまた松並木が続く(10:20)

~つづく~