[その13] 51:石部~52:草津~53:大津~京・三条大橋 (2009.12.12,13)③
栗東市・六地蔵地区から手原地区に入り手原駅前を過ぎてから、道はJR草津線から離れて行く。手鈎地区に入ると足利義尚の歌碑などが並ぶ一角がある。
この地区でも軒下や玄関先に看板が掛けられていて、その中に「うどん屋」なる看板が玄関の引き戸に掛けられている民家があり、ためらいながらもシャッターを切った。
さらに進むと目川の一里塚跡の碑があり、その先には田楽発祥の地の石碑や案内板が2箇所にあって、一方には目川立場・田楽茶屋「元伊勢屋跡」、もう一方には目川田楽「京いせや跡」となっていた。「元伊勢屋」(岡野屋)、「京いせや」(西岡家)、「こじま屋」(寺田家)の3軒の田楽茶屋があったと説明書きにあった。
この地区でも軒下や玄関先に看板が掛けられていて、その中に「うどん屋」なる看板が玄関の引き戸に掛けられている民家があり、ためらいながらもシャッターを切った。
さらに進むと目川の一里塚跡の碑があり、その先には田楽発祥の地の石碑や案内板が2箇所にあって、一方には目川立場・田楽茶屋「元伊勢屋跡」、もう一方には目川田楽「京いせや跡」となっていた。「元伊勢屋」(岡野屋)、「京いせや」(西岡家)、「こじま屋」(寺田家)の3軒の田楽茶屋があったと説明書きにあった。
田楽発祥の地「元伊勢屋」 従是西膳領と書かれた石碑 目川地区の街並み
目川地区を通り抜けると道は右に曲がりすぐに新幹線のガードをくぐる。そこから草津市に入った。左手の土手を登り草津川沿いに少し行くと、国道一号線がその土手下から川の下を通って反対岸に抜けていて、旧街道は端で草津川を渡った所から土手下に降りて草津宿に入っていった。
~つづく~