[その9] 有松~40:鳴海~41:宮 (2009.7.12) ⑤

熱田橋を渡り伝馬町に入ってくると「水と緑と歴史のまち 宮地区」の案内板があり、その地図に「宮の渡し公園」までの赤い線が引かれていたが、まっすぐ行ってあと一回左に曲がれば目的地となっていた。残り1km足らずである。しかし車線の広い大津通りは真っ直ぐは渡れず、いったん国道一号線の伝馬町交差点まで一区画分行って横断歩道を渡り、一区画分戻らなければならない。再び「伝馬町旧東海道」と書かれたゲートをくぐりさらに行くと、今度は片側3車線の伏見通りの長い歩道橋を渡らなければならない。

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{{宮地区の案内板の地図(12:20)                             裁断橋跡}}}

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伝馬町旧東海道のゲートをくぐる        伏見通りの歩道橋・右手の路地の先が宮の渡し公園

歩道橋を降りた所に蓬莱軒本陣という「鰻の櫃まぶし」のお店があり、昼時ということで入口に長蛇の列ができていて、さらに鰻のタレの匂いがたちこめていた。昼を既に過ぎているのだが、目的地はもう目の前ということであえて素通りをする。そこから200mついに「宮の渡し公園」に到着。

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宮の渡し公園の石碑(12:35)                             案内看板

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七里の渡しの石碑と燈籠

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常夜燈と鐘楼

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七里の渡しの先は運河になっていた              たまにクルージングが発着する桟橋

宮から桑名まで東海道は七里の渡しといって船旅であった。この間には木曽川長良川揖斐川が流れていてちょっとした雨でもすぐ氾濫して通行困難なために、海路になったとのことである。
今回の小間切れの旅を開始して以降、宮から桑名の間をどうやって行こうかずっと悩んでいた。宮の渡しに来て観光案内の建物の中のパンフレットにその答えが出ていた。今年10月25日に堀川まちネットという団体が「旧東海道七里の渡し船旅」を開催するという。これはもう参加するしかないでしょう、ということで帰宅後に早速申し込みの手続きをとった。

今日の予定はここまで。少し遅い昼食を摂って、熱田神宮でも散策して帰りましょうと食事処を探した。先ほどの蓬莱軒本陣は相変わらずの混みようでもって、さらに熱田神宮南の鳥居近くの蓬莱軒も長蛇の列である。仕方がないので近くの喫茶店でカツカレーを食べた。
その後熱田神宮内を散策したが、本殿は工事中で拝めなかった。せっかく名古屋に来たからと伝馬町から地下鉄で栄に出て買い物をして、金山からJRの快速に乗って掛川に帰った。

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蓬莱軒本陣は昼時で混んでいた            熱田神宮南の蓬莱軒も長蛇の列ができていた

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熱田神宮南の喫茶・軽食「サン」                   カツカレーがおいしかった

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東海道の 1/4 ほどを歩きました