[その8] 38:岡崎~39:池鯉鮒~有松 (2009.6.7) ②

前回見失った岡崎宿内の27曲がりを今回は地図を片手にリベンジを果たし、八丁味噌蔵を抜けて矢作橋の東詰めで国道一号線に戻る。あいにく矢作橋は今拡幅工事中であった。
この矢作橋豊臣秀吉がまだ日吉丸という名の幼少の頃に蜂須賀小六という侍大将と出合った所とされている。というと聞こえは良いが、現在の名古屋駅裏の中村で生まれた百姓の倅が家出をし矢作橋の上でプータロウかヤンキーのようにブラブラしているところを蜂須賀小六に拾われたというあたりが真相であろう。矢作橋西詰めにはそんな二人の出会いの像が設置されていたのだが、拡幅工事に当たって一時的に撤去されていた。
橋を渡ったところでこの日歩き始めてからちょうど一時間。強い陽射しを避け休憩にしようと橋の下に降りたら、そこにはテントが張ってあった。テントの入口は閉ざされ人が出てくる気配も無かった。

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矢作橋は拡幅工事中であった                        矢作橋西詰め(10:00)

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日吉丸と蜂須賀小六の出会いの像は工事により一時撤去とある     橋の下に張ってあったテント

10分ほどの小休止の後また西に向かって旧道を歩き始める。1kmちょっと行って再び国道一号線に戻り、さらに1.5kmほどで安城市に入る。
ここは最近TVで良く見掛ける自民党衆議院のO氏の地元のようで、選挙が近いこともあってO氏と自民党の有名どころの人とのツーショットポスターがやたらと目に入ってくる。さらに対抗する民主党の若手新人のポスターもあちらこちらに貼ってあり、衆院選挙が近いぞと語りかけている。
そんな中安城市に入って、旧東海道を示す道標や立て看板の類がまったく見当たらなくなってきた。
ちょうど岡崎と安城の市境に宇頭という交差点がありそこから右前方にやや細めの道が延びている。ここが旧東海道との分岐かな?などと悩んでいると、通りかかったお婆さんが「東海道は次の交差点をまっすぐ行きなさい」と優しく教えてくれた。

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国道一号線で見かけた羽振りの良さそうな邸宅   旧道の入口尾崎東の交差点をまっすぐ進む(10:45)

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旧東海道らしい街並み

旧街道には立派な松並木が地元の保存会の手によって保存されているらしくその標識柱はあるのだが、今まで通ってきた市のような道標や立て看板はまったくといってよいほど見当たらなかった。
さらに進むと熊野神社の入口に予科練の碑と英霊招魂碑が祀られてあった。その脇に旧鎌倉街道跡の立て看板があった。
さらに歩を進めた先には法華宗妙教寺があり、道路際に助さん・格さんという名札のぶら下がった2本の老松が立っていた。

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予科練の碑(10:55)                                英霊招魂碑

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鎌倉街道跡の立て看板                        助さん・格さんの松(11:00)

~つづく~