[その1] 26:掛川宿~27:袋井宿 (2008.12.13) ①

掛川に住むようになって17年、いつか東海道五十三次を歩いてみたいと思っていた。
2001年は徳川家康が1601年に東海道を制定してから400年の節目の年であった。この年が一番のチャンスであったのだが、会社勤めをしているとなかなかまとめて休むこともできないしと、実行に移せなかった。
最近会社でも定期健康診断に特定検診が組み込まれ、常日頃から運動不足を指摘されていたのに、更に「メタボリック」という観察項目が付け加えられることになった。
ここで一念発起、何か継続的にやれることはないかということで、東海道五十三次を歩いてみたいという燻ぶり続けていた思いに一歩でも近付くことに思い至った。とはいえ江戸・日本橋~京都・三条大橋を十数日かけて一気に歩くのは会社勤めの身では厳しいので、気の向いた週末に小間切れで1~2宿場を歩けば2年くらいの内には達成できるだろうということで、先ずは身近な所から行動に移すことにした。

そんなわけで第一回目は自宅から掛川城まで行き、掛川城から次の宿場町・袋井を目指して歩き始めた。

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掛川城をスタート (10:10)

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平将門が眠るといわれている十九首塚 (10:25)

掛川の旧市街を出て大池橋を渡る。ここから右手に曲がると火防の秋葉神社に向かう秋葉街道となるが、旧東海道は左に折れる。今回はトイレ休憩のことも考え、国道1号線をまっすぐに進んだ。
国一の両側にはスーパーやDIY、自動車販売各社が続いているが、それを通り過ぎてバイパスと合流する地点で、旧道に入ると松並木の続く原川地区に入る。この辺りは間の宿といい宿場町と宿場町の中間にある小集落で大雨の時などに利用できる緊急避難的な宿があった。

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原川の松並木 (11:20)

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街道沿いには、案内地図や説明文の立て看板が多い

掛川市内では旧街道は国一の北(右)側にあるが、袋井市に入ると南側になるため、原野谷川の手前で国一をくぐることになる。ここでは原野谷川が掛川市袋井市の境である。

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袋井市に入ると、広重の浮世絵の看板が建っていた

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名栗の立場 (11:35)

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袋井市上貫名地区は松並木沿いに遊歩道が整備され歩きやすい

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広重だけでなく、歌川芳員が描いた53次もある

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富士浅間宮の赤鳥居 (11:45)

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江戸から60番目の久津部の一里塚跡 (11:55)

~つづく~