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1987年の夏休み。僕たち夫婦は4回目の海外旅行として東欧3カ国(東ドイツチェコ・スロバキアハンガリー)とウィーンの旅に出た。もちろん当時の東側はがちがちの共産主義で、ビザなんかも必要なので旅行会社に全てお任せの団体ツアー旅行である。その旅で訪れたDresdenの街に残る2次大戦の爪跡に愕然とさせられた。当然日本も敗戦国であちらこちらの街が焼き払われたのであるが、戦後10年の後にはほとんどが痕跡をとどめないように復元されていた。しかし東側は経済的な余裕に乏しく、破壊された瓦礫の状態のまま40年以上経ってしまっていた。ちょうど広島の原爆ドームと同じ感覚で手を加えなかったのかもしれない。

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1987年8月、聖母教会の瓦礫の前で

そんな破壊のシンボルであった聖母教会も東西統一の後は西側の資金も入り、ジグゾーパズルのような復元がなされ、昨年から一般公開されたということなので今回のベルリンでの休日の合間に3回目のDresdenを訪れた。

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2005年10月、復元された聖母教会。破壊されなかった部分がそのままの形で...