伏見・宇治方面との追分を過ぎ、閑栖寺に車石の名残と説明書きの立て札があった。車石とは牛荷車用の溝を切った石のことで、大津の札の辻から京・三条大橋まで歩道と車道が分けられていて、京に向かって左側を人や馬が、右側を牛荷車が通っていた。 旧街道が…
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