大船と横浜中華街に行き、横浜で宿泊 (2119.1.30-31)

以前のブログにも載せたように、僕は1969年神奈川県鎌倉市の大船にある大手電機会社に入社し、現在は静岡県掛川市で隠遁生活を送っている。
最近は脳梗塞の後遺症からか、以前のように勝手気ままに出歩くことができなくなってきて、ちょっと遠出するにも妻の手助けが必要となってきている。

今年になってかつての仲間(同期幹事の<な>)から、今年の4月に同期のみんなで韓国済州島に行くよというお誘いがあった。ついては大船で会わないかというメールだった。
妻の手助けがないと一人で行くこともできないからと、いったんは欠席すると連絡したのだが、数日前に気が変わってたまには久々に大船まで気晴らしに行ってみようかと出席することにした。

同期のメンバーとは僕が大船を離れて掛川の子会社に転籍になってからも時々顔を合わせているのだが、2010年には還暦を祝い熱海のホテルに泊まって翌日熱海来宮神社でお祓いを受けたこともあった。
そしてその後も大船の飲み屋で同期会をやったり、2011年3月11日のまさに東日本大震災の起こった日には大船で同期会をする約束をしていて、掛川から大船にTの運転する車で向かう途中で地震に遭遇してみんなと会えなくなり、翌年の2012年3月11日に再度同期会を開くことになり、前日大船にホテルを予約して雨の中を鎌倉を観光した。その後同期会に出てみんなとの再会し親交を深めたのだが、翌日の朝新潟の義父(妻の父)が亡くなったという連絡が入り、掛川までとんぼ返りして新潟に向かった。そのあたりの様子はこちらから。

また、僕を含めて8人で、2015年6月には台湾旅行をした。
そして台湾旅行後も時々会っていて、前回の同期会に合わせ鎌倉を散策したのは2017年6月のことだった。

そして脳梗塞の後遺症なのか小田原で乗り換えて大船に行くのに妻の助けなしで移動するのも困難になってきた。前は東海道線で直通だったのだが、今は大船から先の行き先が東京行き以外にも小金井行きやら、宇都宮行きやら複雑になって、昭和生まれの僕には不可解になって来ているのだ???


同期会の後で常日頃迷惑をかけている妻のご機嫌取りで?、横浜中華街で夕食を食べ、みなとみらいにある万葉の湯を予約して泊まって翌日自宅に戻った。

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横浜中華街の入り口・朝陽門

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中華街にある楊州飯店

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飯店前のリーズナブルな店頭メニュー

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夕食として食べたクラッシックコースで出てきた料理

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横浜で泊まった「みなとみらい」万葉の湯のパンフレット

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万葉の湯のパンフレット、5階の部屋に泊まり、7階の温泉に入った