五島列島&壱岐ツアー・3日目の1 (2017.6.22)
3日目は6時45分に、唐津ロイヤルホテル1階のレストラン「玄海」で朝食。
8時10分にホテルを出て、唐津東港を8時50分に出る日本郵船壱岐行きのカーフェリーに乗って、玄界灘に浮かぶ離島の長崎県壱岐へと向かった。
8時10分にホテルを出て、唐津東港を8時50分に出る日本郵船壱岐行きのカーフェリーに乗って、玄界灘に浮かぶ離島の長崎県壱岐へと向かった。
印通寺(いんどおじ)港には10時半過ぎに到着予定
10時20分、息の島影が近付いてきた
妻ヶ島の裏手が印通寺港である
印通寺港の桟橋に近づく
印通寺港フェリーターミナルに着岸
フェリーターミナルから迎えの観光バスに乗り込む
バスに乗り込むと壱岐島の地図が配られ14時50分の帰りの船までに、①鬼の岩屋(地図中央)→②東洋一の砲台跡(地図左手)→③猿岩→④あまごごろ壱場で昼食→⑤左京鼻(地図一番右端)→⑥はらほげ地蔵の順に島内を観光するという。
印通寺港を出て真っ先に鬼の岩屋という古墳に向かった。6世紀から7世紀、動力のない時代に洞窟の上下に巨石岩盤で築かれた古墳であったことから、まるで鬼の仕業だということで鬼の岩屋と名付けられたとのこと。
印通寺港を出て真っ先に鬼の岩屋という古墳に向かった。6世紀から7世紀、動力のない時代に洞窟の上下に巨石岩盤で築かれた古墳であったことから、まるで鬼の仕業だということで鬼の岩屋と名付けられたとのこと。
狭い鬼の岩屋の中を順番にのぞき込む
鬼の岩屋の内部
鬼の岩屋を出て、島西部の猿岩へと向かった。猿岩の近くに大正時代日露戦争で日本海を北上するバルチック艦隊を撃沈した勢いで、九州本土(40km)壱岐(60km)対馬(50km)を航行する戦艦に対応するために壱岐に35km届く砲台2基が設置された。実際に完成したころには2次大戦の頃には戦闘機の時代になっていたため時代遅れになっていて一度も実戦には使われなかった。
終戦を迎えた途端GHQの命令で取り壊され、実戦で一度も使われなかった砲台跡が残っていた。
なんか北朝鮮が何1000kmも飛ばせる飛行物体を実験と称して飛ばし続けている現代にも通じる話と思えてくる。
終戦を迎えた途端GHQの命令で取り壊され、実戦で一度も使われなかった砲台跡が残っていた。
なんか北朝鮮が何1000kmも飛ばせる飛行物体を実験と称して飛ばし続けている現代にも通じる話と思えてくる。
黒崎砲台跡 ここからの入口は塞がれている
簡単には破壊できないほどのしっかりとした基礎であった
黒崎砲台の資料 資料そのものが次第に記憶から薄れていっている
東洋一の砲台跡と猿岩とは駐車場は一緒であり、岩の外見が最も猿らしく見えるところに「壱岐対馬国定公園・猿岩」の標識が建てられている。
アップで撮ると本当に猿の顔らしく見える
少し右手に回り込んでみた
猿岩を離れて撮ると「10°違えばただの岩」
猿岩の駐車場を出たところで11時50分。この日の昼食はツアーに含まれていず、前日の内にオプションで「ウニ釜めし」の注文が取られていた。中には新鮮な海鮮にこだわってその場で決めるという人もいたが、僕はもちろん申し込んでいたため、昼食会場のあまごころ壱場に到着してすぐにおいしい釜めしを食べることができた。
12時10分、昼食会場のあまごころ壱場に到着
あまさんの衣装や使う道具の説明
ウニ釜めし(税込み¥1080) 釜めし以外も豊富
あつあつの釜めしが食べられた
=つづく=