鎌倉散策 (2017.3.30)

僕は1969年神奈川県鎌倉市の大船にある大手電機会社に入社し、不採算事業のあおりを受けて1989年にドイツの電機会社との合弁事業に出向となった。そして静岡県掛川市に建設してもらった新工場に工場全体が移転となり、1991年に掛川に引っ越した。2003年には出向の身分から合弁会社へと転籍となり、2010年12月の誕生日直後の給料計算締切日をもって、同期入社者のトップを切って定年退職した。
大手電機会社に就職して半世紀が過ぎ、その間には今一番話題となっているT社を始め、液晶テレビ事業の衰退で台湾企業に身売りしたS社だとか、H社、P社など、かつて春闘などで華々しい業績を誇っていた企業の間でも現在は悲喜交々。今僕自身が安定した老後を過ごせているのは、高校時代に最初に選択した企業が、昔は「石橋をたたいて、なおかつ渡らない」と比喩されるような堅実路線を貫いてきた企業風土であったからに相違ない。
そんな大手電機会社の不採算事業所に1969年同期で14名入社したのだが、途中身体を壊して亡くなった1名を除けば、各種のリストラで様々な全国の事業所に異動になったりした者もいたが、全員無事定年退職を迎えるまで生き抜いてきた。
僕たちが入社した時点の会社規則での定年退職年齢は55歳。そして入社後すぐ男56歳・女55歳という今では考えられない男女不平等の時代を経て、僕たちが50歳を迎える直前には58歳→60歳とどんどん定年年齢が上がっていき、やがて希望すれば65歳まで働くことが可能となった。もちろん徐々に年収は減らされていくことになるのだが。。。

振り返ってみれば僕たち1969年同期入社者の会では、2010年6月に行った還暦時の厄払い以降も時々顔を合わせるようになっていて、この3月末日でも2名が退職するというので3月30日に久々に大船の飲み屋で会おうということになった。
大船に残っているメンバーは時々飲み会などで会っているのだが、僕が飲み会に参加するのは台湾旅行に行った後で、2015年8月大船の飲み屋で反省会をやって以来である。
今回はこの時期ならば鎌倉で桜鑑賞できるであろうと、当日は飲み会の前に散策しようと考えていた。
僕自身は当時住んでいた時に母親が探してきた両親の墓所藤沢市に有って、大船から離れた今でもお彼岸や盆参りなどの度に辻堂までは時々行っている。そのついでに大船まで足を延ばすこともあり、2014年春のお彼岸には大船観音の山の上から大船の街を眺めたり、2012年の3月の同期の飲み会では雨の鎌倉の街を歩いたこともあった。

今回は3月30日に鎌倉を訪れるということで、1969年3月30日に雨の泥んこ道を大船の独身寮に入寮し、4月1日の入社式のリハーサルのために呼び出されて、3月31日快晴の満開の桜の中を始めて会社の門をくぐった日のことを鮮明に思い出していた。
だから今回の飲み会の話があった時に、この日は朝から鎌倉を訪れて満開の桜を散策しようと心待ちにしていた。しかし天気というものはままならないもので、今年は桜の開花がいつもの年に比べ1週間以上遅れ、桜だけは見ることができなかった。


3月30日、掛川を9時半過ぎの新幹線で小田原で乗り換えて藤沢まで行き、小田急に乗り換えて片瀬江ノ島へと入った。江の島を訪れたのは1990年以降初めて、それ以前は長後という所に住んでいたため小田急にはよく乗っていた。しかし江の島の最寄り駅が「片瀬江ノ島」であったことすら記憶の中から吹き飛んでしまっていた。もっとも当時江の島に行くのは自家用車で行く機会の方が多く、「片瀬江ノ島」という駅名すら記憶に残っていなかったのかもしれない。
江の島で降りて国道134号線から島に渡るところに地下道ができているところからして変わっていてびっくりした。島に渡って入口のところにある食堂で生しらすを食べたかったが、生しらすはもう数量オーバーで釜揚げしらすしか頼めなかった。江の島での強烈な思い出はサザエのつぼ焼きであり、それとのセットの定食を頼んで食べた。

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掛川から小田原乗り換えで宇都宮行の電車で藤沢まで行った

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小田急江ノ島線の終点片瀬江ノ島駅に降り立った

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竜宮城のような片瀬江ノ島駅の赤い駅舎

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国道134号線の地下道を渡り江の島弁天橋に出た 江の島灯台を間近に見るのは2003年のリニューアル後初めて

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江の島に入ってすぐの土産物通り

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江の島入り口のレストラン貝作で鰺のたたき定食を頂いた

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江の島弁天大橋を渡り片瀬に戻る

弁天橋を渡って江ノ電に乗って鎌倉方面に行こうと江ノ島駅に向かった。かつてこの通りには卓球台やスマートボールなどを備えた遊技場が並んでいたことを思い出しながら歩いた。
江の島駅から腰越駅の間は自動車が路面電車並走区間で、たまに車で入り込んで小田急路面電車に追いかけられたこともあった。江ノ電ではどこで降りても良かったのだが、この日は久々に大仏まで行ってみたくて長谷駅まで行った。

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江ノ電江ノ島駅に向かう商店街 45年ほど前は卓球場が並んでいた


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久々に江ノ電に乗って長谷駅まで行くことに

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江ノ電の4~5両編成の電車に乗り込む

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鎌倉高校前駅付近では車窓から江の島が望める

長谷駅で降りて、最初は大きな長谷観音がある長谷寺へと向かった。平日の木曜日にもかかわらず観光客でごった返していた。
長谷観音観音堂の中は撮影禁止だったので、長谷寺の端にある見晴らし台から七里ガ浜や材木座当たりの海岸を眺めて、大仏のある高徳院へと向かった。

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長谷駅で途中下車

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長谷寺への路地を入っていく

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長谷寺の境内案内図

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長谷寺観音堂の中は撮影禁止

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観音堂の左隣の建物は観音ミュージアムになっている

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見晴らし台から七里ガ浜・材木座海岸方面が見えその向こうに逗子海岸が見えている

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観音堂から降りたあたりには桜以外の色とりどりの花が咲き誇っていた

観音堂を出て大仏のある高徳院へと向かったが、外人観光客なども多く歩いていた。大仏を見に行ったのは当時大町に住んでいた時に母がなくなって葬式に来た姪っ子たちを連れて行った時以来だから、26年振りである。そういえば今年は27回忌を執り行わなければならない年である。

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大異山の額を掲げてある大仏の高徳院清浄泉寺の仁王門

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仁王門の阿形・吽形の像

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高徳院の境内図

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鎌倉の大仏こと阿弥陀如来

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1252年から銅製の物が作られ始めた 当初は大仏殿があったが後に地震または大風で倒壊した

大仏を出て、多くの人出でバスもほとんど動いていないようだったので若宮大路二の鳥居まで行き、その後段葛を鶴岡八幡宮まで歩き鎌倉駅に戻った。

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若宮大路二の鳥居まで行き、その後段葛を鶴岡八幡宮まで歩いた

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八幡宮前の三の鳥居

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太鼓橋の中へと入り舞殿越しに鶴岡八幡宮を望む

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鶴岡八幡宮の階段

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階段の上から舞殿越しに由比ガ浜まで続く若宮大路を眺める

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本宮に掲げられている八幡宮の額

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石段を下りてくると舞殿前で結婚式の記念撮影が行われていた

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小町通り鎌倉駅へと向かう