JR東海さわやかウォーキング・富士 (2015.10.3)
この日のJRさわやかウォーキングは「ディアナ号の錨を訪ね富士山しらす街道を歩く」というコース。
ディアナ号とは幕末期に開国と通商を求めて下田を訪れていたロシアの軍艦で、安政大地震に遭遇し大破して伊豆の戸田に修理に向かったが、折からの強風で富士市沖に沈没した。その錨が昭和51年に引き揚げられ、現在は富士市の指定文化財になっている。
この日のコースではそのディアナ号の錨も訪れるのだが、最も興味があったのは田子の浦から見る富士山である。百人一首にある山部赤人の「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と詠われているが、僕は東海道五十三次を小間切れで原宿から吉原宿を歩いた時には原駅を出発し東田子の浦から吉原駅の東側を通り左富士を通って岳南鉄道の吉原本町駅へと抜けたので田子の浦近辺は通らなかったのである。
ディアナ号とは幕末期に開国と通商を求めて下田を訪れていたロシアの軍艦で、安政大地震に遭遇し大破して伊豆の戸田に修理に向かったが、折からの強風で富士市沖に沈没した。その錨が昭和51年に引き揚げられ、現在は富士市の指定文化財になっている。
この日のコースではそのディアナ号の錨も訪れるのだが、最も興味があったのは田子の浦から見る富士山である。百人一首にある山部赤人の「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と詠われているが、僕は東海道五十三次を小間切れで原宿から吉原宿を歩いた時には原駅を出発し東田子の浦から吉原駅の東側を通り左富士を通って岳南鉄道の吉原本町駅へと抜けたので田子の浦近辺は通らなかったのである。
それにしても今朝の東海道本線の故障遅延には参ってしまった。掛川駅で休日乗り放題切符(¥2670)を買って8:36の熱海行き普通列車に乗ったまでは良かったが、乗った列車の最終車両に付いていたトイレの水があふれ出して金谷駅の手前で非常停止が押され一時停車。応急処置を施して走らせたが、結局藤枝で全員降ろされて後続の興津駅に載せられた。途中静岡駅で終点の興津駅まで行かないうちにさらに後続の熱海行きに乗り換えるようアナウンスがあり再度乗り換え。その遅れていた熱海行きも富士川を渡って富士駅到着前のアナウンスが流れた途端に踏み切り故障で緊急停止し、結局富士駅に着いたのは10時45分で、ウォーキング受付終了の11時直前であった。
この日のウォーキングマップ
この日のコースは先ず富士駅の南口を出て約2kmほど離れた新幹線の新富士駅を通り、国道1号線に出て西進し道の駅・富士へと向かう。ここまでがだいたい4kmほどになる。
道の駅富士はスキューバダイビングをやっていた頃、掛川から伊豆方面にショップの車で行っていた頃に頻繁にトイレ休憩に利用していた所。特に下り線は夕方立ち寄ったのだが、駐車スペースと軽食コーナー・トイレ間とは反対方向に上り線への横断地下道があるために、今回歩くまでそれに気付かなかった。
上り線側の道の駅の建物の屋上に富士山の展望場所があったので、そこで富士山の写真を撮り、階下のレストランで昼食を摂った。
道の駅富士はスキューバダイビングをやっていた頃、掛川から伊豆方面にショップの車で行っていた頃に頻繁にトイレ休憩に利用していた所。特に下り線は夕方立ち寄ったのだが、駐車スペースと軽食コーナー・トイレ間とは反対方向に上り線への横断地下道があるために、今回歩くまでそれに気付かなかった。
上り線側の道の駅の建物の屋上に富士山の展望場所があったので、そこで富士山の写真を撮り、階下のレストランで昼食を摂った。
国道1号線に出て西進する
下り線の道の駅・富士 かつてここにはトイレ休憩で立ち寄った
東側に上り線側への横断地下道がある
上り線の道の駅の建物の屋上には展望台がある
この日は最初のスタートが受付時間の終了ぎりぎりだったのと、道の駅でのんびりしていたものだから、再びコースに戻るとコース上を歩いている人影が少なく、コースを見失ったかなと一瞬不安になった。
しばらく歩いて行くと公営住宅団地を過ぎた緑道の中にディアナ号の錨が置かれており、そこを過ぎると海抜17mの防波堤に出た。もう何十年も前から東海地震が来ると言われ続けていて、東日本大震災以前から作られていたと思われるが、実際に17mの上に立って見ると海岸に近付くこともできない姿にがく然とした。
しばらく歩いて行くと公営住宅団地を過ぎた緑道の中にディアナ号の錨が置かれており、そこを過ぎると海抜17mの防波堤に出た。もう何十年も前から東海地震が来ると言われ続けていて、東日本大震災以前から作られていたと思われるが、実際に17mの上に立って見ると海岸に近付くこともできない姿にがく然とした。
道の駅で対して時間が経ったわけでもないがコースを歩いている人の姿がなかった
ディアナ号の錨
海抜17mの防波堤に登る
防波堤が遥か先まで繋がっている(東方向)
海抜17mの表示と立ち入り禁止となっている海岸 海の向こうは伊豆
堤防を600mほど歩いた所で一旦下に降り、そこからは富士山しらす街道を2.5kmほど東に向かって歩く。といっても僕の歩いた時間帯にはほとんどの店は閉まっていて、自動車の流れも少なかった。
富士山しらす街道を田子まで歩き、ここから再び海に出て堤防を登る。ここの防波堤の上は「ふじのくに田子の浦みなと公園」として整備され、もともと田子の浦港に置かれていた山部赤人の歌碑も移築されている。しかしながら海岸線に降りることはできず、万葉の頃の田子の浦にうち出でて見ることはできなくなった。
赤い鳥居の脇を抜けて松林の奥にある堤防の上に出る
公園にはミニ富士山も作られている
公園から下に降りて田子の浦港沿いに吉原駅を目指す。途中、漁協食堂はちょうど店じまいの時間であった。また最後の来て貰ったマップにある吉原駅に向かうための地下道が見当たらず、結局駅の東側の地下通路を通って北口へと出るしかなかった。
しかし残念ながら店じまいの最中だった
沼川石水門記念碑の説明板
ゴールの受付でスタンプを貰う(14:45)