JR東海さわやかウォーキング・西鹿島 (2015.5.6)
ゴールデンウィークの最終日、今回のJRさわやかウォーキングは天竜浜名湖鉄道(通称・天浜線)のヘルシーウォーキングとの共催である。共催とはいっても運営の主体は天浜線側で、JRからの参加者は次回のウォーキング参加時にこの日のマップを提示して参加カードに参加証明スタンプを押印してもらうことになる。
天竜浜名湖鉄道は、元々旧国鉄時代に作られた東海道本線掛川駅から遠州の小京都と言われる森町や杉や檜などの木材の町天竜、浜名湖の北側を通って東海道本線新所原駅まで67.7kmを繋ぐ二俣線が、国鉄の民営化によって第3セクターの天竜浜名湖鉄道として再スタートしたものである。
今回のウォーキングの出発地は天浜線の西鹿島(にしかじま)駅、ゴールは2駅隣の天竜二俣駅で、歩行距離は約9.1kmであった。
天竜浜名湖鉄道は、元々旧国鉄時代に作られた東海道本線掛川駅から遠州の小京都と言われる森町や杉や檜などの木材の町天竜、浜名湖の北側を通って東海道本線新所原駅まで67.7kmを繋ぐ二俣線が、国鉄の民営化によって第3セクターの天竜浜名湖鉄道として再スタートしたものである。
今回のウォーキングの出発地は天浜線の西鹿島(にしかじま)駅、ゴールは2駅隣の天竜二俣駅で、歩行距離は約9.1kmであった。
さわやかウォーキングの受付でコースマップを貰う
今日のコースマップ
筏問屋の田代家に立ち寄る
田代家を出て鳥羽山公園下のトンネルをくぐる
鳥羽山城の大手門に繋がる階段
鳥羽山城の本丸のあった場所
本丸広場を見下ろす
この辺り一帯は城山公園となっている
稲荷神社からの急な階段を降りる
二俣城は甲斐武田氏上洛に備えての監視用の城で、松平家康の嫡男信康が住んでいた。信康はその名から判るように織田信長の一字を貰って付けた嫡男で、織田信長の娘徳姫と結婚した。しかし実母で今川義元の孫にあたる築山殿と嫁徳姫との確執があり、徳姫が信長に送った手紙に築山が武田側と内通していると書かれたため、信長の逆鱗に触れて家康に対して築山と信康を殺すよう厳命が下ったという戦国時代のエピソードの残る城である。
しばらく歩いた所にある清瀧寺の境内に自刃させられた岡崎三郎信康の祠
清瀧寺井戸櫓
清瀧寺と同じ敷地に二俣出身のホンダの創業者・本田宗一郎ものづくり伝承館がある。この伝承館には本田のベースとなったカブF号が展示されている。
運転免許の種類に原付という区分があるが、今の若い人たちは原チャリと呼んで馬鹿にするが50cc未満のバイクをどうして原チャリと呼ぶのかご存じでない人がほとんどであろう。僕たちの少年時代には原動機(エンジン)か付いた自転車が町の中を走っているのを現実に見て育って来たので、この伝承館に行って懐かしい思いがした。
運転免許の種類に原付という区分があるが、今の若い人たちは原チャリと呼んで馬鹿にするが50cc未満のバイクをどうして原チャリと呼ぶのかご存じでない人がほとんどであろう。僕たちの少年時代には原動機(エンジン)か付いた自転車が町の中を走っているのを現実に見て育って来たので、この伝承館に行って懐かしい思いがした。
本田宗一郎ものづくり伝承館を出て30分ほど歩くと今回のコースの再北東端の光明幼稚園・尋常小学校跡に達する。ここのテニスコート脇でコンビニで買って行ったおにぎりで昼食としたのだが、もう少し歩いて二俣川の河原の方が広々として良かった。
その後これから始まる甲子園予選に向け練習しているグラウンドの横を抜け、天竜出身の現役日本画家・秋野不矩美術館に立ち寄った。
その後これから始まる甲子園予選に向け練習しているグラウンドの横を抜け、天竜出身の現役日本画家・秋野不矩美術館に立ち寄った。
東谷山永林寺の前を通過