アイスランド・4日目 (2013.11.6)

この日もまた僅かな時間眠りについただけだった。時々外に出て上空を見上げるが雲が広がっていてオーロラの気配もない。6時過ぎに見たときには前夜と同じくらい星が見えていて、ホテル脇の教会付近でやはり三脚とカメラをセッティングしていた女性たちと野良猫一匹とを見掛けた。やがてホテル南側の雲の切れ間が広がり、6時半の時点では前夜よりも広範囲に星は見えていたけどオーロラの気配は微塵も感じられなかった。

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レイクホルトのホテル近くの教会

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その隣の建物も教会なのか高い塔がそびていた

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6時半頃には空一面に星が広がってきたがオーロラの気配は感じられなかった

この日もモーニングコールの7時半前に7時オープンのレストランに行き朝食。そして9時に首都・レイキャヴィークに向けバスが出発した。バスで移動中国道1号線のホエール湾海底トンネルをウトウトしている内に通り過ぎた。

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7時の朝食 結局レイクホルトでのオーロラを見ることが出来なかった

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9時にバスで出発であったが、、直前にホテルの周りを散策してみた

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ホテル西側の教会から北側に延びている住宅街

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ホテルの前 9時にレイキャヴィークに向け出発

レイキャヴィークで一番最初に行ったのが丘の上にあるペルトラン展望台。屋上から市内を一望できるのだが吹き付ける風は冷たく白いものも混じっていた。
次にバスで海際に移動し下車したところは、東西冷戦時代の1986年10月にレーガンゴルバチョフ会談の行われたホフジーハウス。この会談以降に1989年のベルリンの壁の崩壊などの東欧の民主化や1991年のソヴィエト連邦の解体へと一気に進んでいくこととなった。

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レイキャヴークを一望できるペルトラン展望台の屋上に吹く風が冷たかった

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レーガンゴルバチョフ会談が行われたホフジーハウス その後ソ連東欧の民主化が加速

バスはその後中心部へと向かいシティホールの前でバスを降り、チョルニン池から国会議事堂などを歩いて回り、再びバスに乗ってレイキャヴィークのランドマーク的存在のハトルグリムスキルキャ教会まで行った。

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チョルニン池に浮かぶ、みにくいアヒルの子(=白鳥)

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ドムクルキジャン大聖堂

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国会議事堂

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アウストルボルアー広場

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広場脇の木の枝に鳥が止まっていた 日本風に言えば梅に鶯か?

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ハトルグリムスキルキャ教会はレイキャヴィークのランドマーク的存在

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ロケットの発射台のようにも見える

ハトルグリムスキルキャ教会の前から街の中心に向うスコラヴォルドスティグル通りを歩き、スヤヴァルグリルドというレストランで昼食を食べた。

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ハトルグリムスキルキャ教会の前から街の中心に向って歩く

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路上両側にはパーキングメーターが並んでいて駐車中の車が多い

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昼食はスヤヴァルグリルドというレストランで

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中に入って右側すぐのカウンターには数多くのボトルが並んでいる

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前菜のスモークドラム         メインのサーモン料理

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昼食後再びハトルグリムスキルキャ教会に向って歩きバスに戻る

次に向ったのは街の中心部から30分ほど離れた温泉地ブルーラグーン。ゴツゴツした溶岩の荒涼とした風景の中を進み、2日目に寄った所とは別の地熱発電所を通り過ぎたところに温泉地の駐車場はあった。
持参した水着を手にし温泉施設の入口でロッカーキーのリストバンドをもらい、ゲートを通ったところに置いてあるタオルを取り男女別に分かれたロッカールームへと進む。そこで着替えてまずはカメラを手に露天温泉に。途中入浴前にシャワーを浴びなければならない。外は冷たい風が吹いていて風呂に肩まで浸かっていないと湯冷めしそう。添乗員さんにカメラを渡し記念撮影の後カメラをロッカールームに仕舞いに行くときが最も寒い時間。再び温泉に浸かり今度は泥パックが反対端に置いてあるので、体が冷えないように膝を折り曲げながら進む。周りに打たせ湯や、屋内にはサウナやスチーム風呂もあるのでそこで温まることも可能。
入場時間は2時間ほど設定されていたが40分もしたら飽きてしまい、さっさと上がって着替えて売店でジュースなどを飲んだり、展望テラスに出たりして過ごした。

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街から30分ほど離れた温泉地ブルーラグーン

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だだっ広い池のような露天温泉は男女混浴

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外は寒いので足を曲げて肩まで浸かっていなければ風邪を引きそうです

ホテル到着は17時半過ぎ。部屋に荷物を置きゆったりとしたあと、19時からの夕食。
皆の話題はこの夜の空模様。事前にオーロラハンティングツアーをインターネットで現地のツアー会社に頼んでおいた方にはツアー中止のお知らせが届いたようで、この日も期待薄な状況であった。

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この日の宿泊先グランドホテルに到着

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ホテルのレセプション ここで2泊します

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大き目のゆったりとした部屋に泊まりました

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ホテルのレストランでコース料理 ラムとビーフのパテ、鱈の焼き料理、アイスクリーム

夕食のコース料理はゆったりと食べる現地の人たちのペースで出てきて、食事が終わったのが21時間際。今回のツアーは21時から24時までの3時間、ホテル13回のオーロララウンジの貸切が2日とも付いている。
この日21時に部屋に上がっていくとシャンパンやデザートがテーブルに並んでいた。34人の参加者は殆どの人が参加したと思われ、外のテラスには早くも三脚が場所取りとして並んでいた。ラウンジで待つこと1時間半、今日も見れないのかとあきらめかけた頃に一番最初に気づいたのは、以前カナダのイエローナイフで撮った写真をカメラに残している富士宮のSさん。あの辺りに緑色のものが見えると早速シャッターを切ってみると確かにオーロラらしき色が写っている。それではと皆が真似てシャッターを押し始めた。しばらくすると緑色の光が徐々に濃くなり、やがて誰でもが肉眼で認識できるようになった。
でもこのテラスで撮影することの問題が幾つかあることも判明。街中から強い光のサーチライトが空に向って伸びている。亡きジョン・レノンの妻オノ・ヨーコの光がなんとも邪魔な存在となっている。さらにテラスは30人以上も写真撮影するには狭く、広角レンズを装着していると建物や庇が写り込むことも問題である。
それでもオーロラを見れたことで皆の表情は明るく和気藹々である。この日のオーロラは大体1時間ほど続いた。狭いテラスでの撮影をあきらめて海岸まで出た人もいて、オーロラテラスが閉まる直前に戻ってきて見せてもらった写真により、次の日は海岸に出てみようという気になった人が何人もいたのである。

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オーロララウンジに用意されたシャンパンとヨーグルト

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オーロララウンジで待つこと1時間半 ついにオーロラが出現

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ホテルの建物とオノ・ヨーコのサーチライトが邪魔なので場所を移動

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オーロラが少しずつ姿を変えて行く

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一時間ほどして光が弱まってきた

=つづく=