2011年3月11日の出来事

未曾有の甚大な被害を出した日本の観測史上最大の地震が起きた時間、僕は友人Tの運転する車に乗り東名高速の沼津付近にいた。
僕は既に60歳の自分の誕生月で定年退職したのだが、僕が勤めていた会社の親会社(元々僕が42年前に新卒で入社した会社)の会社規則では定年退職日は60歳到達後の入社日の前日となっているため、僕と一緒に入社した人の大部分が3月31日に定年退職を迎える。もちろん希望すれば延長することは可能なのだが、半分以上が今月末をもって退職となる。そこで3月11日(金)最初に入社した鎌倉市の大船にて同期会をやることにしていた。
T君は僕の住む掛川市にある、僕が勤めていた会社とは別のやはり子会社に出向になり単身赴任の身である。当日午後自宅のある寒川まで車で帰ってから大船に行くというので、無職の僕にとっては渡りに船とばかりに乗せて行ってもらうことにした。
東名高速の上り線で沼津を通り過ぎた頃、僕たちの車の前に赤色灯を回しハザードを付けたパトカーが入って来た。スピードはそんなに出ていなかったけど、「ねずみ取り」に引っ掛かったかなと思い緊張したが、別に停止を指示するのでもなく徐行運転で着いて行くしかなかった。前の車とは徐々に間隔が開いて行く。パトカーの背面ガラス越しにメッセージボードがあり「速度規制中」の文字が見えた。
友人のTはドライブ中はいつも、i-podをカーステレオにセットして若かりし頃の1970年代の歌謡曲を聞いているのでカーラジオの情報を聞いていない。何かあったのかとラジオに切り替えると今回の地震報道を繰り返していた。やがて御殿場ICまで来ると全ての車が高速道路から降ろされた。
さてここから寒川までどのルートで帰ろうかと相談し、246も箱根越えも混みそうな予感があったので、今回は足柄方面に抜けた方が良いと判断しカーナビを無視して脇道に入ったのだが御殿場線の踏切が閉まっている。近くに電車の姿が見えているのに完全に停止していて動く気配が無い。これでは駄目だと諦め、引き返して箱根方面に向かうことに。IC近くまで戻ると渋滞しているので何故かと思ったら閉鎖された高速の入口めがけ車列が出来ていた。T君の機転でとっさにその脇を抜け箱根方面に向かったが道は順調に流れていた。
途中、情報を知りたくて携帯から電話をかけるがどこにかけても使用できない状態。それならばメールをと何人かに状況確認のメールを送った。やがて同期会の幹事と電話がつながり、大船地区は停電・断水状態のため、宴会は中止ということを知った。電車も止まっていて、彼は平塚の家に帰るため大船から歩いている途中で、既に藤沢近くまで来ているという。電車が停まっているならば、このまま家まで行って泊ればいいとT君が勧めてくれたので、この時はその気になった。
途中小規模の渋滞は何か所かあったものの箱根湯本まではまあまあ流れていた。しかし箱根駅伝で良く出てくる蒲鉾屋の前を過ぎると、脇道が何本かあることもあって目に見えて動きが悪くなった。もちろん箱根厚木道路は閉鎖されていた。ラジオで地震情報を聞いていて、東海道新幹線は下り方面が動き出したという声が瞬間的に耳に届いた。後で考えると名古屋か新大阪より西の情報だったのかもしれない。さらに横を小田急が時々通っていく。時計を見れば地震発生から3時間半以上過ぎている。もうそろそろ公共交通機関も回復しつつあるのではないかということで、それならば僕は小田原駅に行き新幹線に乗って帰った方が良いとT君が勧めてくれたので、僕はそこでT君と別れ車を降りた。
小田原方面に向かい7~8分歩いて行くと板橋の駅に出た。そこから小田原までは小田急で行けたのだが、小田原からは新幹線も東海道小田急自体も動いていなくて、目処も立っていないとのこと。さあ困ってしまった。これは駅舎内で夜を明かすことになるかもと考え、先ずは食糧確保に駅の売店に。当然すでに多くの人が似た考えで行動しているようで店内のパンやおにぎりの棚は空。結局チョコやポッキー、キャラメルなどカロリーの足しになりそうなものとお茶のペットボトルを購入。既に階段や駅の方で用意したブルーシートに多くの人が陣取っていた。
さらに僕は自由席の切符ならば有効期間が2日間有るので、とりあえず何時でも改札を抜けられるようにと掛川までの切符を買い、少しでも情報が得たいと改札付近にいた。19時半頃になったらとりあえず線路上にいる車両を点検がてら終点まで動かすことになったようで、新横浜・東京方面に行く人をホームに入れ始めた。15分以上「東京方面の人はホームに止まっている電車にお急ぎください」というアナウンスが流れていた。
上りが動き出したならば、いずれ下りもと、しぶとく待っていたら20時を過ぎた頃、「途中に止まっていた下りのこだまがホームに入ります」とのアナウンスがあった。ホームに上がると「点検をしながらの徐行運転なので時間がかかっています」というアナウンスがあり、5分ほどでこだまがホームに入って来た。地震が無ければ15:07に小田原駅を通過するはずだったこだま。その時間に新横浜を過ぎ小田原への途中に止まっていた訳なので空席は十分にあり、座ることもできてヤレヤレ。途中三島駅までは徐行運転のためノロノロと走っていたが、この列車の前にも停止していた車両があったわけなので、点検も終わったということで徐々にスピードを上げて掛川へはほぼ6時間遅れで22:10頃の到着となった。良かったその日のうちに帰れて!

イメージ 1
新幹線小田原駅の改札口

イメージ 2
床に座れるようにブルーシートも敷いてあった

イメージ 3
「払い戻しを要す」の印が押されたチケットは一年以内に払い戻しを。。。

早速T君にお礼の連絡をと思って電話するもつながらず、今日になってようやく連絡がつき、彼が寒川の自宅に到着したのは0時を回っていたという。