[その5] 31:荒井宿~32:白須賀宿~33:二川宿~34:吉田宿 (2009.2.7) ②
宝永4年(1708年)白須賀宿は地震と大津波で街が壊滅し、翌年潮見坂の上に宿場が移されている。この時、蔵法寺の潮見観音のお告げで人々は難を逃れたという言い伝えがある。
蔵法寺を過ぎ東海道の道標を右に曲がると上り坂が見える。少し息を弾ませて上りながら時々後ろを振り返ると遠州灘が次第に大きく広がってくる。部活の帰りなのか中学生が自転車で坂を下ってきて「こんにちは」と大きな声を掛けていく。坂の上には小学校と中学校が並んで建っていた。
中学校の手前左側に「おんやど白須賀」という観光案内所が有り、ここで一休み。
蔵法寺を過ぎ東海道の道標を右に曲がると上り坂が見える。少し息を弾ませて上りながら時々後ろを振り返ると遠州灘が次第に大きく広がってくる。部活の帰りなのか中学生が自転車で坂を下ってきて「こんにちは」と大きな声を掛けていく。坂の上には小学校と中学校が並んで建っていた。
中学校の手前左側に「おんやど白須賀」という観光案内所が有り、ここで一休み。
元町(旧白須賀)の家並み
潮見坂を上りきった(10:30)
10分ほどの休憩の後再び歩き始める。ここからはほとんど平坦な道である。中学校、小学校を過ぎて左手に潮見坂上の石碑群という大小10個ほどの忠魂碑や顕彰碑があり、そこから少し行ったところに明治天皇行幸時の休憩所の跡がある。ここから見下ろす遠州灘が一段と美しい。西から江戸に下る旅人はここで初めて太平洋を眺め、その感動を和歌に詠んだと思われるものが幾多の石碑の中に混じっている。
~つづく~