[その3] 28:見附宿~29:濱松宿 (2008.12.29) ④
安間の一里塚跡で県道261号線に合流した後もなお西へ徒歩を進めると、旧街道はやがて国道1号線バイパスの下をくぐる。この辺りから国道152号線(バイパスが開放されるまでは国道1号線)と合流する辺りまでは、旧東海道の名残りとも言うべき松並木が点在している。
途中天竜川駅のあたりに、また六所神社という名前の社があった。川を越えたところの最初の角も六所神社であった。何かのつながりがあるのだろう。
松並木の間に浜松駅近くのランドマーク「アクトタワー」の姿が見え隠れするが、なかなか近付いてきたという印象からは遠い。「浜松アリーナ」という運動施設を過ぎて国道152号に入ってきた。道を渡るのに地下道をくぐらなければならないのは都市部(注・浜松市は2年前に政令指定都市になってます)に入った証だろうか?
途中天竜川駅のあたりに、また六所神社という名前の社があった。川を越えたところの最初の角も六所神社であった。何かのつながりがあるのだろう。
松並木の間に浜松駅近くのランドマーク「アクトタワー」の姿が見え隠れするが、なかなか近付いてきたという印象からは遠い。「浜松アリーナ」という運動施設を過ぎて国道152号に入ってきた。道を渡るのに地下道をくぐらなければならないのは都市部(注・浜松市は2年前に政令指定都市になってます)に入った証だろうか?
国道152号線となってからは歩道がぐっと広くなり非常に歩きやすい。しかし史跡が道の反対側にあったりすると横断するのも一苦労である。またバス停が程よい間隔で並んでいて、待合いのための長椅子があって「疲れたら腰掛けてもいいよ」と足が重く感じるようになった僕の心を誘惑しているのだが、ここで腰掛けたら暫らく動けなくなりそうな気がして、誘惑を降りきるかのようにひたひたと歩き続ける。
やがて馬込橋を渡り浜松の旧市街地に入り、右手に浜松祭りの屋台小屋や夢告地蔵尊の祠が目に入ってきた。
やがて馬込橋を渡り浜松の旧市街地に入り、右手に浜松祭りの屋台小屋や夢告地蔵尊の祠が目に入ってきた。
さらに12月の末とは思えないような強い日差しの中歩を進め、アクトタワーを左に見て東海道が左手(南)に曲がる田町の交差点にたどり着いた。
ここをまっすぐ行くと浜名湖の北側に位置する館山寺温泉、右に曲がって少しいったところに市庁舎があり、その裏手が浜松城公園である。ここでいったん街道を離れ浜松城まで行ってみることにした。
ここをまっすぐ行くと浜名湖の北側に位置する館山寺温泉、右に曲がって少しいったところに市庁舎があり、その裏手が浜松城公園である。ここでいったん街道を離れ浜松城まで行ってみることにした。
浜松城は徳川家康が青年期を過ごした城で、野面(のづら)積みという石垣は16世紀の戦国時代のままであり、天守閣は昭和33年建造とのことである。残念ながらこの日は年末の休館に入っており、中に入ることは出来なかった。
お城を見物した後は田町の交差点まで戻り、旧街道を南下する。ここからは国道257号線となる。そこから二つ目の信号、伝馬町の交差点にある濱松宿の6本陣の一つ梅屋本陣跡でこの日の行程を終えた。
その後浜松市街を探索し、浜松駅から帰途に着いた。
その後浜松市街を探索し、浜松駅から帰途に着いた。
梅屋本陣跡は地図上の赤丸の所 次回はここが出発点となる