長野県五名城ツアーの旅行記・2日目の1 (2018.11.3)
一夜明け2日目の朝は一面にどんよりとした曇り空。僕たちの泊まった長野ロイヤルホテルの奇数番号の部屋の窓は北面に面していて、左手に爺ヶ岳から鹿島槍、白馬岳など北アルプスの稜線や右手に戸隠や飯綱山、黒姫山、妙高山と大パノラマが見れるというので期待していたのだが残念であった。
6時半からレストランに行きバイキングの朝食を食べた。
この日は早めの7時50分に集合8時出発だったのだが、部屋数の多さのわりにエレベーターが3基しかなく上の階から降りてくる宿泊客が集中して、チェックアウトカウンターも渋滞していた。
6時半からレストランに行きバイキングの朝食を食べた。
この日は早めの7時50分に集合8時出発だったのだが、部屋数の多さのわりにエレベーターが3基しかなく上の階から降りてくる宿泊客が集中して、チェックアウトカウンターも渋滞していた。
6時半から朝食も前夜と同じくバイキングであった
定刻の8時になり、宿泊先の長野ロイヤルホテルを出発した
バスはホテルを出ると少し行ったところにある松代城址公園の真田宝物館の駐車場に入った。
この日は分化の日で松代城跡の周辺地区も菊花展や文化行事が行われていて、旧樋口家住宅でも説明の係の人が早朝から対応してくれるということで、真っ先に旧樋口家を訪れた。
この日は分化の日で松代城跡の周辺地区も菊花展や文化行事が行われていて、旧樋口家住宅でも説明の係の人が早朝から対応してくれるということで、真っ先に旧樋口家を訪れた。
真田宝物館駐車場に到着
まず旧樋口家住宅を訪れた
観光ボランティアの方から旧樋口家住宅の説明を聞く
旧住宅内に展示されていた甲冑
住宅内の台所の展示を見ながら説明を聞く
旧真田家の各旧家の庭の池はつながっており鯉も住んでいるという
旧樋口家の住宅をあとにして今度は松代城跡を訪れた。
松代城は海津城とも呼ばれ、武田信玄が信濃侵攻にあたり山本勘助に命じて築城され、江戸時代初期には真田家十万石の城下町となり発展した。
明治になって廃城となって壊されて石垣のみが残っていたが、2004年になって長野県によって復元された。
松代城は海津城とも呼ばれ、武田信玄が信濃侵攻にあたり山本勘助に命じて築城され、江戸時代初期には真田家十万石の城下町となり発展した。
明治になって廃城となって壊されて石垣のみが残っていたが、2004年になって長野県によって復元された。
太鼓橋を渡って太鼓門に入る
南の櫓門
戌亥隅櫓台から降りてくる階段
本丸跡内側から見た狭間
北不明門から狭間を見返すと
その後不明門から東側の建物に出たり本丸に戻ったりして、城址内の建物を見て周っているうちに似たような城跡や門などが多いものだから、建物の名前や撮った写真の記憶がゴッチャゴッチャになってきてしまい、気付いたらバスの出発時間になってしまった。
名前を忘れたが東のほうにあった城門
名前を失念したが城門をくぐった
さらに太鼓橋以外にも橋を渡った
=つづく=