結婚まで

1978年6月新潟の彼女の実家に挨拶に行った。ちょうどこの頃新潟で嫁いだ妹が出産したので、母も同乗してまだちっちゃかった姪っ子を見に行った。母はそのまま田舎の親戚へ行き、僕は彼女と彼女の実家に向かった。着いて夕食にビールを出され、元々アルコールに強い方ではないので酔ってしまったが、彼女の父親の前で何とか「結婚させて欲しい」と言うことはできたもののその時に明確な答えは返ってこなかった。

大船に戻ってから暫くしてデートの約束をしていた日に女子寮の管理人の奥さんから電話があった。彼女が入院したという連絡だった。最初体調不良で会社の診療所に行ったのだが、そこで点滴を受けていて気を失い、会社の隣の病院に運ばれたとのことだった。僕が病院に駆けつけると弱弱しそうな彼女の姿がそこにあった。一週間ほど入院していたのだが、彼女の父に連絡して来てもらったり、毎日会社が終わって病院に寄ったりした記憶が蘇って来た。それ以来彼女は大病を患うことなく現在に至っているので、その時は初体験の点滴そのもので過剰反応したのだろうと、妻は今でもそう思っている。
その後、夏休みにまた彼女の実家に挨拶に行った。この時は彼女の父親の要望で間に人を立てて挨拶に来て欲しいということで、僕を高校へ行かせてくれた父の実家の従兄と挨拶に行き、ようやく結婚の承諾を取り付けることができた。結納はその年の秋に彼女の実家で、従兄に仲人をお願いし行なった。

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結婚前に妻の実家を初めて訪れた頃、僕は体重60kgとスリムだった

当時僕は母と妹とボロアパートに住んでいたが、結婚するのだから住む所くらいは何とかしたいと3か所ほど彼女とマンションを見て歩き申し込みをした。当時マンションは人気が高く競争率が高かったが、会社から20kmほどの高座郡綾瀬町(当時=現・綾瀬市)に神奈川県住宅供給公社が新築中の分譲マンションに補欠ながら当選ができた。頭金の半分ほどは新潟の実家を手放して得たお金で、住宅金融公庫の融資と会社の住宅ローンを組んだ。このマンションの完成受け渡し時期は1979年の6月となっていた。

結婚を決めてからの交際は順調だったのかというとそうでもない、覚えているのでは1979年の正月に彼女の実家を訪ねて行ったのだが、その行きの特急列車の中でも何故か険悪な状態となった。でも何だかんだとなだめすかして仲直りし難を逃れた。

今ではどういうことだったか覚えていないことなのが、6月に新しい住まいに入れるのに、何故その3か月前に結婚し狭いボロアパートで暮らし始めようと思ったかということ。先に延ばせば、また壊れてしまうのではという漠然とした不安だったのだろうか___

1979年3月結婚し、僕の青春時代の幕が下りた。もうあれから33年。月日の経つのはとても速くて___